2012年度国際法ゼミ

  • ゼミのスタート
    本年度のゼミをフォトアルバムで紹介していきます。

2011年度国際法ゼミ

  • 卒業式の日に(2012年3月25日)
    東日本大震災の直後の2011年4月から緊張した状態で始まったゼミでしたが、進むにつれて打ち解けていきました。最終的なゼミ論の完成まで頑張りました。

2010年度国際法ゼミ

  • 2010年ゼミ卒業記念アルバム写真
    2010年度の法学部国際法専門ゼミのアルバムです。 3,4年合同なので、人数は30人になります。これまでのゼミで最も大人数となりました。

2009年度法学部国際法ゼミ

  • 記念撮影
    共通テーマ「国際人権・人道秩序の再構築」

2008年度国際法ゼミ

  • 北村ゼミ全員集合
    2008年度中央大学法学部国際法ゼミの紹介 「国際人権・人道秩序の再構築をめざして」

2007年度国際法ゼミ

  • クリスマスの季節・忘年会後
    国際法ゼミ(2007年度)の紹介アルバムです。

2006年度国際法ゼミ

  • 2006年度のゼミ生集合写真(2)
    2006年度国際法ゼミのアルバムです。

熊本紀行

  • ライトアップに照らし出される熊本城
    2009年9月14日から19日まで、熊本大学法学部にて集中講義(国際人権論)を行いました。 2011年1月21日、22日に所用のため熊本大学を訪れました。

2012年5月 5日 (土)

CIAによるレンディション事件をヨーロッパ人権裁判所が審理

1.レンディションとは

 レンディションと(rendition)いう言葉を知っている人はそう多くはないだろう。エクストラオーディナリー・レンディション(extraordinary rendition)という言葉もある。私は「特別送致」などと意訳している。米国のCIAがテロリスト容疑者を逮捕状なく密かに拉致、監禁して、拷問、暴行の上、いずことも知れない外国に移送して裁判にかけることもなく長期間被疑者を拘束した上、闇にかくれて処理する。

 本来、テロ犯罪の容疑者であれば、正式な逮捕状を用意して身柄を逮捕し、なおかつ国外への引渡しが必要であれば、きちんとした手続をとる必要がある。しかし、この「特別送致」では、「対テロ戦争」の名の下で法の適正手続きなどは何の意味も持たない。そんな無法な人権蹂躙が行われていたとしたら、いくら何でもひどすぎる話である。

 また、仮に、このような目にあった被害者が無事に生還した後に、裁判で加害者の違法性を訴えようとしても、強大な組織と権力を相手として不利で困難な闘いになるであろうことは想像できる。

 
 そのような事件の一が、ストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所(European Court of Human Rights)に繋属中である。この事件について、5月16日に人権裁判所の大法廷において公開の聴聞審理が行われる予定だそうだ。※1

2.マケドニアで逮捕と拘禁

 原告は、レバノン系のドイツ人であるエル・マスリ(Khaled EL-Masri)氏。申立人のおよその話では、事実の展開は以下のようである。

 同氏が2003年12月31日にバスでバルカンの小国・マケドニアに入国しようとしたところ、正規のパスポートを所持していたにもかかわらず、マケドニアの警察によってテロリストと疑われ、身柄を拘束された。その後、首都スコピエ市内のホテルに23日間、監禁され尋問をされた。

3 アフガニスタンへの送致とCIAによる尋問

 身に覚えのない容疑を突然かけられ、不当な取扱いを受けたあげく、マケドニア警察当局から米国のCIAに引き渡され、目隠し、手錠をされ、さらに足枷までされて特別の飛行機便でアフガニスタンに連行された。その後、カブール市内のCIAの秘密拘禁施設に収容され、さらに尋問と虐待を受けた。後日解ったことだが、氏の名前がテロリストとして指名手配中の人物と似ていたというそれだけのことによって、あらぬ容疑をかけられたらしい。

 氏は、抗議のためにハンガーストライキを実行したが釈放が認められず、結局、2004年の5月まで逮捕状もなく拘禁されたあげく、裁判を受けることなしに長期間、狭く不潔な部屋に監禁され、暴行、虐待を受けた。2004年3月に抗議のためにハンストを行ったときにはチューブによる食事を強制され、様態が悪化した。その後はベッドに伏せた状態になったが、5月に2回目のハンストに入ったところ、目隠しに手錠をされたまま飛行機に乗せられた、アルバニア経由して、ドイツのフランクフルト国際空港に連れ戻された。釈放時には、半年前の出国時に比べて体重が18キロも減っていたそうだ。

4 マケドニア当局の話

 マケドニア当局は、氏は入国の際に偽造旅券を持っていた容疑により取り調べを受けた後に、釈放され、コソボへと出国したと主張しているようである。

5 人権条約との関連

 以上のような一連の事実に関してエル・マスリ氏は、マケドニア当局による不当な逮捕、恣意的拘禁及び十分な調査の実施拒否などは、人権条約の第3条(拷問、残虐な又は非人道的取り扱いの禁止)、第5条(恣意的逮捕拘禁の禁止)、第8条(プライバシー、家庭生活の尊重)などに違反している主張している。

6 人権裁判所の役割

 人権裁判所が小法廷から大法廷に本件の審理を移管したこと自体が、この問題の重要性を暗示している。マケドニアはヨーロッパ人権条約の締約国であるから人権条約上の義務を負い、また人権裁判所はマケドニアに対する訴えを審理する権限はあるし、マケドニアが人権条約に違反したかどどうかが問われている。マケドニア当局は、少なくとも本事件について調査を行い、容疑者を捜査しその責任を追及する義務があるだろうし、その点で義務違反が問われる可能性がある。また、CIAに引渡した結果、どのようなことが予想されるかマケドニア当局が知っていたとすれば、その点についての責任も問題となるだろう。

 したがって、この裁判は、米国CIAによるレンディション自体が国際法及び人権条約違反であるかどうかどうかを明らかにするものではない。しかし、マケドニアと米国はいわば一蓮托生の関係にあると思われるので、間接的には米国のレンディションの合法性も問われているとえいよう。ただし、米国はヨーロッパ人権条約の締約国ではないために米国政府を相手とする訴訟をヨーロッパ人権裁判所で提起することはできない。そこでいわば、米国の手先となって動いただけの、マケドニアという小国を相手とする訴訟なのだが、それでも人権裁判所がこの問題についてどう判断を下すかは米国の関与とその責任の一端を白日の下にさらすという点で重要である。

 強大な権力を相手として個人が訴えを起こしても、証拠等の収集では非常な困難がある。しかし、該当日時の飛行機の管制記録などの客観的な証拠がないわけではないだろう。今後予定される判決でマケドニアの人権条約違反が認定されることになれば、米国当局の活動の違法性とそれに対する責任を間接的に肯定することになる。今の段階では、判決を予測することはできないが、人権裁判所が、ヨーロッパ諸国だけでなく、国際社会全体における人権と法の支配を擁護する砦として、どのような役割を果たすかが注目されるだろう

7 関連記事

なお、以上とは別に、エル・マスリ氏の事件は、米国自由人権協会の弁護士らによって米国の裁判所でもCIA長官らを相手とする訴訟が提起されたが、国家機密に関する内容であるとして、棄却されている。

  以上の典拠(ソース)については、ヨーロッパ人権裁判所の2012年4月26日付けのPress Releaseを参照。

また、Open Society Foundationのホームページでも概要を知ることができる。

http://www.soros.org/initiatives/justice/litigation/macedonia

※1 人権裁判所の大法廷は17人の裁判官によって構成される。人権裁判所の審理は通常は、7人の裁判官によって構成される小法廷で審理されるが、条約解釈に影響を与える重要な事件である場合には、小法廷は大法廷に管轄を移管することができる(ヨーロッパ人権条約第30条)

2012年4月10日 (火)

外堀の桜

今日から市谷の法政大学で授業を1コマ受け持つことになった。

法政大学の市谷キャンパスは、外堀のすぐ近く。

授業を終わってから外堀周辺を歩いてみた。

明日は桜吹雪も予想されるので、今年の桜の見納めかも知れないと思いカメラにおさめた。

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2012年3月25日 (日)

高幡不動の梅

今日は大学の卒業式がありました。

久しぶりに天気が良かったので、途中で高幡不動の梅を見に立ち寄ってみました。

下から見上げると五重の塔を覆うように紅梅と白梅が咲いていました。

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こちらでは、紅梅と白梅が1本の木に咲いていました。

「源平咲き」とか「源平仕立て」というのだそうです。

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ことしは今頃ようやく梅も満開です。あと1週間ほどで桜もほころぶのでしょうか。満開はさらに遅れそうです。

こちらは、「しだれ梅」(白梅)です。

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2012年3月 5日 (月)

オーストラリア国立大学での短い滞在を終えて

1.オーストラリア、キャンベラの滞在を終えて、昨日帰国しました。

  オーストラリア国立大学は、キャンベラのダウンタウンから近いところにあるオーストラリア国内でも有数の総合大学です。法学研究院(Colleg of Law)は、高度の研究、教育水準でオーストラリアだけでなく国際的にも高く評価されています。

2.ANUのLaw Collegeには、アンダーグラジュエイト(日本でいう)と修士課程(LLM)、法曹養成コース(JD課程)それに博士課程(PhD)のコースがあり、各国からの留学生を含めて多くの優秀な人材を送りだしています。また、移民法、環境法、国際法、ジェンダー法などの分野の研究体制が特に充実しています。各国からの訪問者も随時いて、私の2週間の短い滞在中にも日本の最高裁判所の判事の講演がありましたし、国際司法裁判所のウィラマントリー元裁判官の講話を聞く機会もありました。大げさな会場設定はせず、50、60人のスタッフ、学生が気軽に聞きに来ていました。それに昼食時なのでサンドウィッチと飲み物も用意されていました。

 
3.また、ANUでは、アジア系の留学生の姿を多く見かけました。インドネシア、マレーシアなど東南アジアだけではなく、中国それに最近では韓国からの留学生も多いそうです。日本人留学生の姿はあまり見かけません。

 
 ANUのホームページによれば、2009年度では在学生数が15,632人でそのうち3,563人(22.8%)が留学生(international students)ということですから、4人に1人近くが留学生という実態です。優秀な学生を各国から集められるからこそ高い評価が得られているのでしょう。その背景には、自国語(英語)の研究、教育をそのまま留学生ができるという英語圏の強みが影響しているものと思われます。

 
4.その点、日本では、日本語で大学教育が成り立っていることもあり、特別に外国語に強い学生は除いて、ハードルの高い英語に挑戦してまで外国の大学に留学しようとする学生は少ないように思います。加えて就職活動などの事情から外国の大学に留学する学生の数は伸びていないことが問題視されるようになっています。数週間程度の短期の在外研修の希望は多いのですが、大学の交換留学制度により1年程度の留学を志す学生もさほど多くないようです。

 
5.外国からの留学生の受け入れも、あまり目立った変化はありません。日本の大学教育はそうして世界標準とは別の世界で成り立っているように思われます。国内の大学ランキングは気にすることはあっても、国際的な大学ランキングははじめから「もの差し」が違うからとして意に介さないことを装っているようです。そうして、日本の大学の一部の研究中心大学は別として、多くが国際的評価から取り残されてしまうことにもなりかねません。

6.そこでやはり問題は、日本語の壁がかなり高いということです。特に、社会科学系の場合、留学生はほとんどが中国か韓国などの漢字圏の人たちで成り立っています。中国、韓国でも日本語を学ぶよりは、英語を活用できるようにした方が実利的であるとして日本留学へのプッシュ要因は減ってくるように思われます。再三言い尽くされていることですが、わが国の大学教育の国際的評価を高めるには、英語による質の高い教育の機会を日本人であるか外国人であるかにかかわらずに提供するところがますます重要な課題となるでしょう。

2012年3月 1日 (木)

オーストラリア国立大学(ANU)での客員生活

1.今日から3月です。キャンベラは、月曜日以来、雨が続いています。先週は日中は晴れて気温も30度近くまで達し、夕方に一雨降るというような天気でしたが、今週に入って雨模様で少し肌寒く感じます。夏から秋に変わる時期で東京な9月半ばから下旬のころの長雨に似ています。

P1010958_22.今回のキャンベラ滞在は、オーストラリア国立大学との交流により客員教授として派遣されているものです。往復の日程を入れて18日間の短期の滞在ですが、一応、客員として居る以上は、大学内で講義のようなものをすることになっています。先週は、スタッフミーティングで教授たちを相手に研究報告をしました。また、昨日は学生を相手として講義もしました。

3.先週のスタッフミーティングでの報告の表題は、日本における人権条約の適用(Application of International Human Rights Treaties in Japan)として、日本の裁判所において人権条約がどのように解釈、適用されているかという問題についての報告です。とはいっても、時間内で収めるには絞り込まないといけないので、アイヌの権利に関する二風谷ダム事件判決、受刑者の権利に関する徳島刑務所受刑者接見妨害国賠事件判決、それにいわゆる日比混血児の日本国籍確認訴訟の3つほどに絞って、我が国の裁判所における人権条約の解釈、適用について概要を説明しました。

4.アイヌの問題は、オーストラリアにおける先住民の権利に関するマーボ事件判決などと関連する内容で、先住民の権利に関する普遍的な人権保障の動きを関連して、日本でもこんな判決があることを紹介する意味があると思われます。オーストラリアでは、先住民の問題はかなり重要な問題として常に問題となっています。

P1010957_25.また受刑者の権利も普遍的な性質をもっています。こちらでも2007年のオーストラリア最高裁の違憲判決により、受刑者には一切選挙権を認めていない選挙法の規定は違憲であるという判決が出されました(Roach v AEC and Commonwealth of Australia)。そこで、法が改正されて3年以上の刑期の判決に従って服役中の受刑者だけに選挙権を認めず、それ以下の刑期で服役中の受刑者は選挙権を認めることとしました。ただ、3年の刑期で区切ったことについては、その後も議論があり、すべての受刑者に選挙権を認めるべきであるという主張もあります。

6.受刑者の選挙権については、ヨーロッパ人権裁判所の判決をめぐる英国の動きについてこのブログでも紹介しました。オーストラリアはもちろヨーロッパの国ではありませんが、普遍的な人権の問題として、当地でも議論が続いているようです。人権問題は、このようにどこの国にも関わりのある問題が存在しており、非常に興味深く、こちらでの滞在中も勉強になります。いずれの発表、講義も英語のみで行うのもまたチャレンジングな経験です。

写真の説明

上の写真は、オーストラリア国立大学キャンパス内の大学名の入った標識。キャンパス内にはユーカリの樹などがの緑がたくさんある。

下の写真は、College of Lawの校舎と中庭

 

2012年2月27日 (月)

キャンベラ(オーストラリア)にて

Canberra01_31.2月17日以来、キャンベラのオーストラリア国立大学に短期滞在中です。オーストラリアは今回が初めての訪問です。
 短期の滞在ですが何しろ広大な国なので、東京と比べると交通システムが車中心になっているので全く異なる環境です。
 キャンベラは1911年に建設が始まった新しい人工都市です。すべてが都市計画に従って作られているため、まるで公園の中に町があるような環境です。

2.上の写真は、郊外のエィンズリー(Ainslie)山から望む国会議事堂(Parliament House)です。滑走路のように見えるのは、手前の戦争博物館前のアンザック・パレード(Anzac Prade)です。アンザックは、オーストラリアとニュージーランドの連合軍を指す言葉です。滑走路のような大通りの両側にはオーストラリアとニュージーランドがかつて参加した戦争へのモニュメントが並んでいます。

Canberra02_3Canberra02_53.また、当地の標準英語は、todayがトゥダイになるような特徴があり、慣れるまでやや時間がかかります。
 環境が異なると発想も刺激され、日本(東京)に居ては気がつかないような事柄にも触れることができるような気がします。

4.上は、国会議事堂です。この建物の特徴は屋上に芝生が植えてあり、見学者(国民)が屋根に登れることです。その屋根には四本の支柱に支えられた国旗掲揚塔が建っています。てっぺんにはオーストラリアの国旗が翻っているという仕掛けです。

5.今日(2月27日)は、与党労働党内のリーダーシップを巡りジュリア・ギラード首相とケビン・ラッド元外相との間で与党の議員投票が行われ、ギラード首相が大差でその地位を保持しました。

 政権与党内のリーダーシップを巡ってどろどろとした対立抗争が続いているのは、英国型の議員内閣制(ウェストミンスター・モデル)を採用している国の特徴でしょうか。この混戦を受けて、オーストラリアでも首相公選制または大統領制を採用したらどうかなどという意見もあるようです。これもどこかの国でも取り上げられつつある議論ですが。

 ギラード首相は党内での支持基盤は安定したようです。ギラード首相は、美人ともいわれてますが、議会での党首討論などの模様を見ているとかつて英国の「鉄の女(Iron Lady)」といわれたマーガレット・サッチャー元首相を彷彿させる堅固な政治家です。

6.三題噺のようですが、サーチャー元首相といえば、映画「アイアン・レイディ」でサッチャー元首相の生涯を演じたメリル・ストリープが今日の米国アカデミー賞の授賞式で主演女優賞を獲得しましたね。今回、オーストラリアにくるカンタス航空の飛行機の中で見ました。やや退屈な内容ですが、彼女の演じるマーガレット・サッチャーは、顔かたちから話し方まで実に本物そっくり。これには本当に驚きました。

 
  

2012年2月17日 (金)

久しぶりの更新です

日常であまり変わったこともないせいか、更新がとどこおりがちです。
ちょっと遠くまで来たので、記念に記事をアップしておきます。
昨日の成田空港は寒かったけれど、9時間の飛行で南半球にやって来ました。
着いたばかりです。シドニー空港にて国内線の待ち合わせ中。

2011年11月 8日 (火)

国際人権法学会に行ってきました。

1.日程

 11月5日(土曜日)と6日(日曜日)の両日、国際人権法学会の研究大会が北海道大学にで開催されました。

 4日の午後に羽田を発ち夕方に千歳空港に到着。その日の夜は、合同委員会。
 5日の朝10時から夕方まで研究大会でした。夜は懇親会。続く、6日の日曜日も同じく朝10時から午後まで開催されました。

2.テーマ

 今回の学会の統一テーマは、「国内裁判所による人権救済と憲法上の人権・人権条約上の人権ー個人通報制度への参加を視野に入れて」でした。副題に含まれている個人通報制度とは、自由権規約の選択議定書や女性差別撤廃条約選択議定書などに定められている個人通報制度のことです。

 個人通報制度を受け入れることによって、国内の人権救済手続(裁判等)によって人権が救済されない場合に、当該個人は、条約上の監視機関による審査を請求する道が開かれます。

 例えば、非嫡出子の相続分について嫡出子の2分の1と定めている民法900条4項の規定は、憲法14条および国際人権条約に定める「法の下の平等」に違反するなどという主張に対して、最高裁の多数意見は、憲法に違反しないという解釈を示しています。ところが、この点については、既に自由権規約委員会は、1993年11月、日本政府の報告書審査の結論において、「規約第2条、第24条及び第26条の規定に一致するように、婚外子に関する日本の法律が改正され、そこに規定されている差別的な条項を削除」するよう勧告しました。したがって、もしわが国最高裁が憲法判断を維持したまま(民法を改正しないまま)、個人通報制度を批准すれば、この問題を個人通報制度の下で再度、人権規約に違反するかどうかが問題となりうるでしょう。

 わが国ま未だこれらを受諾していませんが、民主党のマニュフェストにその批准が謳われていました。したがって、いずれわが国も受け入れることになった場合を視野に入れて、憲法および人権条約の実体規定をどのように解釈、適用する必要があるのかが当面の関心となるでしょう。自由権規約第1選択議定書は、114ヵ国により既に批准されています。アジアでは、お隣の韓国やフィリッピンが批准しています。

3.報告

 5日の午前中の報告では、自由権規約委員会の規約解釈の法的性格、ヨーロッパ人権裁判所の判例の国内的効力等についての報告がありました。午後には、北海道に縁のある裁判例として、二風谷ダム事件判決などを通じて、わが国の裁判所における人権条約の解釈適用の方法等についての報告が行われました。

 今回のテーマは、特に国内裁判所による人権条約の解釈と憲法の人権規定と関係などについて興味ある報告が続き、有意義な研究大会でした。

4.余談―旧北海道庁と北大キャンパスの紅葉

 土曜日( 5日)の朝は小雨模様でしたが、ホテルから歩いて北大に向かう途中に旧北海道庁の赤煉瓦庁舎の前を通りました。天候の関係で赤煉瓦もややくすんで見えましたが、デジカメで写真におさめましたものをアップしておきます。写真をクリックすると拡大します。

Sn3j0261s_2

北大構内の紅葉のシーズンは終盤にさしかかっていましたが、まだ紅葉の盛りの木々も残っていました。図書館前の記念碑と背景の紅葉をデジカメで撮りました。 
 
 

Sn3j0269s_2

キャンパスのメインストリート(?)の銀杏並木が黄色に色づいていました。自然と見事に調和したキャンパスでした。
 

Sn3j0273s

 

«EUのヨーロッパ人権条約への加入協議が進展

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カンボジア・集団殺害(ジェノサイド)博物館(Genocide Museum)

  • 供養塔
    カンボジア、プノンペンのジェノサイド博物館の写真  1975年~1979年にかけてカンボジアを支配していたクメール・ルージュ(赤いクメール)政権の下では、現代史上にもまれなジェノサイドが行われ、約170万人の犠牲者を出したと言われている。人道に対する罪を犯した虐殺の責任者を処罰するために、国連とカンボジア司法当局との共同により設置された特別法廷において裁判がようやく開始された。  この裁判では、ポルポト政権の責任者が訴追されようとしている。国際人権・人道法の実施が、果たして確保されるのかどうか、この裁判の行方に注目していきたい。  この博物館は、当時、多数の政治犯等を捕らえ、拷問の上、殺害を実行した場所である。決して物見遊山で訪れるような場所ではない。しかし、かつての忌まわしい行為の実態を知ることにより、人間の愚かさを顧みる意味はあるだろう。 ※一部に凄惨な写真があります。ご留意ください。

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