CIAによるレンディション事件をヨーロッパ人権裁判所が審理
1.レンディションとは
レンディションと(rendition)いう言葉を知っている人はそう多くはないだろう。エクストラオーディナリー・レンディション(extraordinary rendition)という言葉もある。私は「特別送致」などと意訳している。米国のCIAがテロリスト容疑者を逮捕状なく密かに拉致、監禁して、拷問、暴行の上、いずことも知れない外国に移送して裁判にかけることもなく長期間被疑者を拘束した上、闇にかくれて処理する。
本来、テロ犯罪の容疑者であれば、正式な逮捕状を用意して身柄を逮捕し、なおかつ国外への引渡しが必要であれば、きちんとした手続をとる必要がある。しかし、この「特別送致」では、「対テロ戦争」の名の下で法の適正手続きなどは何の意味も持たない。そんな無法な人権蹂躙が行われていたとしたら、いくら何でもひどすぎる話である。
また、仮に、このような目にあった被害者が無事に生還した後に、裁判で加害者の違法性を訴えようとしても、強大な組織と権力を相手として不利で困難な闘いになるであろうことは想像できる。
そのような事件の一が、ストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所(European Court of Human Rights)に繋属中である。この事件について、5月16日に人権裁判所の大法廷において公開の聴聞審理が行われる予定だそうだ。※1
2.マケドニアで逮捕と拘禁
原告は、レバノン系のドイツ人であるエル・マスリ(Khaled EL-Masri)氏。申立人のおよその話では、事実の展開は以下のようである。
同氏が2003年12月31日にバスでバルカンの小国・マケドニアに入国しようとしたところ、正規のパスポートを所持していたにもかかわらず、マケドニアの警察によってテロリストと疑われ、身柄を拘束された。その後、首都スコピエ市内のホテルに23日間、監禁され尋問をされた。
3 アフガニスタンへの送致とCIAによる尋問
身に覚えのない容疑を突然かけられ、不当な取扱いを受けたあげく、マケドニア警察当局から米国のCIAに引き渡され、目隠し、手錠をされ、さらに足枷までされて特別の飛行機便でアフガニスタンに連行された。その後、カブール市内のCIAの秘密拘禁施設に収容され、さらに尋問と虐待を受けた。後日解ったことだが、氏の名前がテロリストとして指名手配中の人物と似ていたというそれだけのことによって、あらぬ容疑をかけられたらしい。
氏は、抗議のためにハンガーストライキを実行したが釈放が認められず、結局、2004年の5月まで逮捕状もなく拘禁されたあげく、裁判を受けることなしに長期間、狭く不潔な部屋に監禁され、暴行、虐待を受けた。2004年3月に抗議のためにハンストを行ったときにはチューブによる食事を強制され、様態が悪化した。その後はベッドに伏せた状態になったが、5月に2回目のハンストに入ったところ、目隠しに手錠をされたまま飛行機に乗せられた、アルバニア経由して、ドイツのフランクフルト国際空港に連れ戻された。釈放時には、半年前の出国時に比べて体重が18キロも減っていたそうだ。
4 マケドニア当局の話
マケドニア当局は、氏は入国の際に偽造旅券を持っていた容疑により取り調べを受けた後に、釈放され、コソボへと出国したと主張しているようである。
5 人権条約との関連
以上のような一連の事実に関してエル・マスリ氏は、マケドニア当局による不当な逮捕、恣意的拘禁及び十分な調査の実施拒否などは、人権条約の第3条(拷問、残虐な又は非人道的取り扱いの禁止)、第5条(恣意的逮捕拘禁の禁止)、第8条(プライバシー、家庭生活の尊重)などに違反している主張している。
6 人権裁判所の役割
人権裁判所が小法廷から大法廷に本件の審理を移管したこと自体が、この問題の重要性を暗示している。マケドニアはヨーロッパ人権条約の締約国であるから人権条約上の義務を負い、また人権裁判所はマケドニアに対する訴えを審理する権限はあるし、マケドニアが人権条約に違反したかどどうかが問われている。マケドニア当局は、少なくとも本事件について調査を行い、容疑者を捜査しその責任を追及する義務があるだろうし、その点で義務違反が問われる可能性がある。また、CIAに引渡した結果、どのようなことが予想されるかマケドニア当局が知っていたとすれば、その点についての責任も問題となるだろう。
したがって、この裁判は、米国CIAによるレンディション自体が国際法及び人権条約違反であるかどうかどうかを明らかにするものではない。しかし、マケドニアと米国はいわば一蓮托生の関係にあると思われるので、間接的には米国のレンディションの合法性も問われているとえいよう。ただし、米国はヨーロッパ人権条約の締約国ではないために米国政府を相手とする訴訟をヨーロッパ人権裁判所で提起することはできない。そこでいわば、米国の手先となって動いただけの、マケドニアという小国を相手とする訴訟なのだが、それでも人権裁判所がこの問題についてどう判断を下すかは米国の関与とその責任の一端を白日の下にさらすという点で重要である。
強大な権力を相手として個人が訴えを起こしても、証拠等の収集では非常な困難がある。しかし、該当日時の飛行機の管制記録などの客観的な証拠がないわけではないだろう。今後予定される判決でマケドニアの人権条約違反が認定されることになれば、米国当局の活動の違法性とそれに対する責任を間接的に肯定することになる。今の段階では、判決を予測することはできないが、人権裁判所が、ヨーロッパ諸国だけでなく、国際社会全体における人権と法の支配を擁護する砦として、どのような役割を果たすかが注目されるだろう。
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なお、以上とは別に、エル・マスリ氏の事件は、米国自由人権協会の弁護士らによって米国の裁判所でもCIA長官らを相手とする訴訟が提起されたが、国家機密に関する内容であるとして、棄却されている。
以上の典拠(ソース)については、ヨーロッパ人権裁判所の2012年4月26日付けのPress Releaseを参照。
また、Open Society Foundationのホームページでも概要を知ることができる。
http://www.soros.org/initiatives/justice/litigation/macedonia
※1 人権裁判所の大法廷は17人の裁判官によって構成される。人権裁判所の審理は通常は、7人の裁判官によって構成される小法廷で審理されるが、条約解釈に影響を与える重要な事件である場合には、小法廷は大法廷に管轄を移管することができる(ヨーロッパ人権条約第30条)














