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2008年5月

2008年5月17日 (土)

人道的救援の権利?

ミャンマーをおそったサイクロンに続いて今度は中国四川省での大地震とアジアでの自然災害による人命の損失が続けざまに起こった。

特に、ミャンマー軍事政権は外国からの援助の受入に消極的な対応に終始し批判されているが、このような場合に、人命を救うために、国際的な救援活動を円滑に進めることがなぜできないのかと歯がゆく思う。

このような自然災害に伴う被災者を救援するために、「人道的救援権」という権利を具体化することが考えられるだろう。

国連総会は20年前の1988年のアルメニア大地震に際して、フランスの提案により「自然災害ならびに同種の緊急事態における犠牲者への人道的支援」と題する決議を採択して災害の犠牲者が緊急に必要とする食料、医薬品等の支給活動に当たっている国際機関、NGOを支援するようにすべての国家に呼びかけを行った(下記、ギョーム・ダンドロー著『NGOと人道支援活動』参照)。

さらに2006年のインド洋津波に際しては、国連は災害支援のために「国連中央緊急対応基金」(the UN Central Emergency Response Fund)を立ち上げて大規模自然災害による犠牲者、被災者支援の活動に助力する体制作りをやってきた。わが国もこれに財政支援をしてきた。この制度の前提として関係国(被災国)政府の同意がある。したがって、関係国政府の同意なしに緊急援助を行うことは実際にはほぼ不可能といっていよい。

このような場合の現行国際法の関連規定としては、非国際的武力紛争に関するジュネーブ諸条約第2追加議定書の18条が唯一参考となる。同条では、内乱等に際しての犠牲者を支援するための人道援助の受入について規定しているが、しかし、これらの努力も被災地国の政府が人道団体を受け入れることを前提として初めて機能することができるのである。政府の受入れ、つまり国家主権が壁となっている。

関係国政府の同意がない場合には、いかに人道的な緊急事態であろうと緊急援助物資を被災者に届けるための方法は、公式な政府間のレヴェルでは存在しない。これを敢えて強行しようとすれば、国連安保理が伝家の宝刀を抜くしかない。つまり、安全保障理事会による強制措置の発動という形をとるのである。しかし、これには1993年5月のソマリアに対する国連決議に基づく介入という失敗例がある。その時、実効的な中央政府が存在しない破綻状態の国家において、難民が大量に発生しているにもかかわらず人命を救うための方途が存在しない。その際、国連安保理の決議をもって人道的支援を貫徹するために軍事的介入(平和強制部隊[Peace Enforcement Unit]ともいう)をとったが、結局、国連の部隊そのものが現地の武力紛争に巻き込まれる形になり、多数の犠牲者を出すことになり、撤退を余儀なくされたのであった。

その後もソマリアは混沌とした状況が続いていたが、つい最近5月15日に国連安保理は再度PKOの派遣検討を求める決議を採択したと伝えられた。ソマリア暫定政府との協議が行われることになろう。

他方、軍事政権が実効支配を強めているミャンマーの場合には政権の同意なく、緊急援助を一方的に実施することは困難である。軍事政権に対して、国連を中心として説得を続けるしかないだろう。

今後も自然災害は、様々なものが予想される。その際に緊急援助を派遣し、受け入れることは、「人類全体に対する義務」(obligation erga omnes)でもあるとも言えるかもしれない。災害時の人命救援のための国際緊急援助に関する制度的枠組みを強化する必要があるだろう。

☆国連総会決議43/131
http://www.un.org/documents/ga/res/43/a43r131.htm

☆ギョーム・ダンドロー著(西海真樹、中井愛子訳)『NGOと人道支援活動』白水社、クセジュ文庫。

☆西海真樹「『人道的救援権』論」『法学新報』102巻3・4号, 1995.12, pp.187-221

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2008年5月13日 (火)

国連人権理事会による人権状況の審査

去る5月9日に国連人権理事会において日本の人権状況の審査が行われた。審査の模様は、10日のNHKテレビニュースなどでも伝えられた。この審査に際しては、日本に対して死刑の廃止を求める意見が表明されたとか、代用監獄問題や従軍慰安婦問題についても批判されたとなどと報じられていた。

そのような指摘は特別、国際人権規約等の条約上の監視機関による審査においても指摘されてきたことであり、特段目新しいことではないが、この機会に国連人権理事会における普遍的定期的審査(Universal Periodic Review/UPR)という制度について注目しておきたい。

この制度の意義は、人権問題がすでに国内問題ではなく国際的な問題であることに国連加盟国が合意し、全世界的な基盤を有する人権監視制度を作ったことにあるといえよう。従来は、人権問題は国内問題と主張することにより国連での議論を拒否してきた国があるが、今後はそれが認められないであろう。したがって、従来から人権問題について開かれた議論を受け入れてきた国にとっては特別の目新しいことではない。北朝鮮、ミャンマー他の独裁的国家の人権問題を議論する公の場が保障されたという点では意味がある。

この普遍的定期審査制度では、4年に1回の割合で各国の人権の履行状況を審査する。中国、アメリカ、ロシアなどの大国であろうが、人口数十万の極小国家であろうが、同じ条件の下で審査を行うところに特色がある。

この制度ができた背景には、旧人権委員会の時代には、一部の特定の国の人権状況だけを恣意的に取り上げて批判し、圧力をかけているという不満があったことが原因で人権問題が政治化してきたという問題があった。こうした制度的問題を克服するために、新たな人権理事会では、国の大小強弱にかかわりなく、すべての国が同じ条件で公平な審査を行うことにしよう、ということになったのである。

この審査は、普遍性と平等の待遇を確保するような方法により、すべての国が負っている人権義務をどのように履行しているかについて、客観的かつ信頼できる情報に基づいて行う。審査は、人権の普遍性の原理に基づき相互依存に依拠する協力的なメカニズムとすることが謳われている。
 
具体的な審査は、理事会構成国から選ばれた3人の報告者からなる作業部会により審査対象国の人権状況を審査・検討することとし、審査の後には、関係国とその他の諸国からの意見を聴聞した後に、人権理事会に報告を提出することになっている。

日本の人権状況の審査結果は、これからまとめられて報告書が提出されることになる。今後も注目して行きたい。我が国としてもこの制度を活かすためにも、説明責任を真摯に果たすことが必要である。

☆国連人権理事会 英文概要
http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/UPR/Pages/UPRMain.aspx

☆UPR(普遍的・定期的レビュー)の概要
外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/upr_gai.html

☆日本政府報告書
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken_r/pdfs/upr_sh0803.pdf

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2008年5月 5日 (月)

障害者の権利条約の発効

5月3日は、憲法記念日だったが、今年の5月3日には、国連の障害者の権利条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)が20か国の批准書の寄託要件を満たして発効した。
http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=26554&Cr=disab&Cr1=

同条約は2006年末に国連総会で採択され、これまでに128カ国が署名した。わが国も昨年9月に署名を済ませたが、国内法の制定を必要とするためにまだ批准していない。これまでの批准国の大半は、ラテンアメリカやアフリカの途上国であり、先進国としてはスペインだけのようである。
http://www.un.org/disabilities/

障害を持つ人々の地位の平等を前提として、障害者が社会参加を可能とするために必要な措置を執る義務を負う。それには、公共施設だけでなく、あらゆる社会的場面における参加の平等を確保することが必要とされる。

施設の改善も必要であるが、心の中のバリアフリーが最も必要とされることは論ずるまでもない。身体壮健(のようにみえる人が)電車やバスの優先席を我がもの顔で占有しているを見るのは、見苦しいものである。
*外務省のサイトへのリンク
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/shogaisha.html

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2008年5月 2日 (金)

法律時報5月特集記事<国際人権の客観性と主観性>

雑誌<法律時報>2008年5月号では、『国際人権の客観性と主観性』というタイトルの特集を掲載している。本特集では、テーマに関する座談会を企画した他、国際人権法の研究者に8本の論文のご寄稿を頂いている。

本特集号の編集を担当した関係上、<本特集の趣旨>と題する拙文を掲載する機会を得たので、その趣旨を短めにまとめて、紹介させていただく。

1.国際人権基準の普遍性を確認したウィーン宣言が存在するにもかかわらず、それは理念のレベルにとどまっているのではないかとも思われる。国際人権が客観的に存在しているというのはユートピアに過ぎないのだろうか。

2.今世紀に入ってからも、人権の普遍性に関する議論は、未決着のままであるだけでなく、より複雑な様相を呈しているようにも思われる。九・一一同時多発テロ事件以降、人権の普遍的妥当性を主張してきた先進国内においても「テロとの戦争」を背景として、人種、宗教間の亀裂が深まっていった。先進諸国においてはテロ対策、犯罪防止と安全の確保を理由として市民的自由に対する制約が次第に浸透してきた。かつてから確立されていたはずの市民的自由が「ゆらぎ」の世界に直面している状態が見られる。

3.他方で、先進諸国、移行期体制国家あるいは途上国であるとを問わずに、経済のグローバル化と市場主義化の波に伴って、人々の間の経済的格差が増大し、社会的な弱者・貧困層に対する法的ケアの不在(例えば、わが国における年金問題、生活保護の打ち切りなど)という問題が露呈している。先進国の主張してきた人権が、市民的自由の側面のみを強調して、社会権的側面を軽視してきことの矛盾と弊害が表れているともいえよう。

4.市場のグローバル化は、経済的繁栄の果実を拡散する効果をもたらしたかもしれないが、ローカルなレベルでは必ずしも恩恵ばかりをもたらさなかった。時には、グローバル化の流れは、伝統社会に生きる少数者の権利や文化的多様性の破壊などのローカルな価値を破壊するような現象もみられる。このような市場の論理に対しては強い疑念も表出されている。

5.現代国際社会の複雑化した人権状況においては、国際人権法に期待されることは、国内的には人権侵害の犠牲者、被害者の視点に立って人権尊重の源泉となり、また国際的には文化の壁を越えて国際理解と対話をいっそう進め、人権の尊重を促進するための媒介装置としての役割を果たすことであろう。

6.法が意思伝達(コミュニケーション)の機能を果たす側面を有しているとするならば、意思の伝達は相互に理解可能な共通の言語によることが必須である。国際人権法に含まれる「人間の尊厳」や「法の支配」という価値や理念は、文化を越える共通のシンボルとして対話の装置を提供する役割があるだろう。かつて、普遍的人権観に対する批判が起こった背景には、国際人権法が「力」(ハードパワー)の外交の一翼を担い圧力によって強制されるものとして認識されてきたからである。圧力を加えられる側から見ればそれは、不条理な力を背景して加えられる抗うべきものと映じたとしても不思議ではない。しかし、国際人権法は、「力」を背景として他国に押しつけ、「分からせる」ための装置ではなく、相互の文化の違いを乗り越えて「分かり合う」ための装置でなければならない。そのためには、国際人権法は、諸国にとって受け入れ可能な客観性に裏付けられた正統性を基礎に据えている必要がある。上述のような二一世紀の社会的な変化をも考慮した上で、「人間の尊厳」、「法の支配」、「差別禁止」、「民主主義」などの共通の理念に裏打ちされた中核となる人権の国際的実施体制の再構築が渇望されている。

7.そのような国際社会の現状を見るとき、2006年に国連において人権理事会の発足した。また、今年から同理事会の下で、人権の普遍的定期審査制度の開始され、すべての国連加盟国が同一の条件の下で人権のレビューを受けることになった。同制度は、未だ不透明な部分が残されているけれども、既存の人権条約システムへの影響も含めて国際人権の実施にとって様々な意味での新風を吹き込む可能性はある。また人権理事会が、国の違いを越えて人権の普遍性原理に基づき、有意味な人権対話の場としてどこまで機能を発揮できるかどうかも、今後の運営にかかっている。理事会は発足時から大きな障壁に直面していることは確かであるが、これらを克服するためにいかにして対処していくか今後の展開に注目したい。

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