バンコク、インターンシップ4日目(2008年11月1日土)
午前中はフリータイムで、ホテルを出てBTS(バンコク市内の高架式鉄道・スカイトレインともいう)のスラサック駅近くの食堂で朝食をとる(30BT)。ソンテオでサートーン船着き場まで行き、チャルンクルン通り付近を散策した後、ロビンソン・マーケットのマクドナルドでコーヒーを飲む。その後、買い物を1時間ほどした。昼食をロビンソンの最上階のカフェテリアでとった。(55BT)
いったんホテルに戻った後に1時15分にサンルイ通りにて、マドレーヌとパティに会い、いよいよクローン・トーイ(Klong Toey)のスラム訪問に行く。タクシーに6人押し込む。後部座席に5人座る。クロン・トーイはチャオプラヤー川の港に隣接する地域に港の荷揚労働者として地方から移住してきた労働者が住居として、勝手にシェルターを作り自然発生的にできたスラムである。かつてもっとも人口が多い時には6万人ぐらいの人々が生活していたらしい。
スラムの入り口のところでヨッチャンというここの住人でATDとのコンタクトのある40歳くらいの男性と落ち合う。彼の先導でスラムの様子を視察する。
バラックの間を人間1人が縦列になって歩ける幅の歩道が、縫うように巡らされている。そこを進む間に、ここでの生活を垣間見ることができた。かなりひどい状態に見える箇所もあるが、かつて板張りでぬれると滑りやすく危険であった歩道も、コンクリート舗装され、また運動による結果、立派な小学校や職業訓練校もできていて、行政が地域改善に努力してきたことはうかがわれた。
クロン・トーイ・スラムには、日本のJVC も含む種々のNGOが入り込んで政府関係機関との改善を進めてきた成果が見られる。
スラムの外れには港湾施設が隣接している。ここの住民は、元々、港湾庁の管理する土地を不法占拠していたので20年前の1987年に港湾施設を拡張する際には、隣接する土地に住民の移転が実施された。その年はちょうど国連の国際居住年(HABITAT)とぶつかったために、タイ政府も事を慎重に運んだらしく、今の居住区に代替住居を建設して住民に与えた。しかし20年経過した2006年よりは住民に対して家賃を求めることになった。(写真は、かつて住民を移転させて港湾施設の拡張工事が行われたが、工事半ばで資材が野ざらしのままになっていた。住民の一部は戻って小屋を建てている)。
一通りスラムを見学した後、ヨッチャンともう一人の男性を交えて、スラムの生活実態を聴く機会が設けられた。フィリッピンのマニラのスラムでは住民の排除、立ち退きが強行されたことがあるが、ここではそのような強行措置がとられたことはないとのことだった。
夕方4時半頃にはクロン・トーイ・スラム地区を後にしてクローン・トーイ市場に出かける。ここは、魚、肉、野菜などの食材と、雑貨を中心に様々な品物が豊富に並べられたまさにバンコクの食材マーケットの中心である。生きたままの鶏、あひる、亀、なまず、うなぎなども売っている。
タクシーに乗り込みスアン・ルム・ナイトバザールのタイ風イタリアンのレストランにて夕食をとる。各自、スパゲッティやラザニアを頼み、ビール1本(大)とデザートを4人で食べて合計で1400(BT)ほどだった。現地の価格ではかなり高い方。その後、バザールを見学。お土産店にてネクタイ1本。ガイドブックによるとこのバザールは2007年中には取り壊しの予定であったが、まだ通常の営業をしていた。
その後、タクシーにてパッポン地区に移動し、タイ式マッサージを体験してみようということになった。この通りの両側には、水商売、接客業風の女性が客待ち顔で佇んでいる。新宿歌舞伎町のような雰囲気。あまり声を掛けられることはないのはやや安心。このようななんとも猥雑な雰囲気の漂うタニヤ通りに面したタイ式マッサージの店(○にTの字が看板。Massage & Spaの店)に学生らとともに入る。窓越しに店内の様子が見え、各コースごとの料金表も外に出ていたために入り易い店だった。学生らとともに、1時間半の全身マッサージのコースを選択(1人350BT、約1000円)した。日本円で千円は高いとは言えないが、現地の水準ではかなりの贅沢。その後は、BTSにてホテルに10時半過ぎに戻った。
(文中、仮名)
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