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2008年12月

2008年12月28日 (日)

今年もあと数日という時に新婚カップルの誕生

いよいよ2008年もあと3日しか残っていない。冬休みに入っているが、この時期、原稿の執筆が重なっているため、休みどころではないというのが本音である。

こんな年の瀬の押し迫った昨日(12月27日)の夕刻、結婚披露宴のため恵比寿のロビンズ・ガーデンというところに出かけてきた。

Cimg16143_3 普通のサラリーマンならこんな時期に結婚披露宴をする人も希だろうが、新郎、新婦は大学院の博士課程において国際法を勉強してきた仲である。さらに新婦は来年早々には、外国に長期赴任の予定であって、この時期に披露宴をということであろう。おめでとうさんでした。末永く、お幸せにheart01

ということで、お二人の前途を祝して、記念の写真を披露しておきます(ぼかし具合が微妙)。

さてこのブログも年内の更新はたぶんこれが最後になる。時間を割いて、いらしていただいた方々に改めて感謝します。よいお年を。

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2008年12月26日 (金)

国連大学・大学院共同講座

 今日は、晴れてはいたが、日中も冷たい風が吹いていた。午後に青山の国連大学で大学院共同講座(Joint Graduate Course)に関連する会議があった。この講座は、東京都内と周辺のいくつかの大学の大学院生を対象に毎年開講されている。

今年は、講座Ⅰ(国際人権・人道支援)、講座II(国際紛争解決)、講座III(国際開発)など3つのコースに各13名から20名ほどの学生が参加している(全体では53名)。この講座の特色は、各大学の大学院生が参加しているので、インターカレッジな講座であること、また留学生も多いのでインターナショナルであるということである。講師も多彩であり、講義と学生との質疑応答もすべて英語である。参加学生からも、充実した講義としてすこぶる良い評価を得ているようだ。

 私は、この講座の他の大学の運営委員とともに、主として講座Ⅰの運営に当たってきた。講座の最終的な締めくくりとして、参加者は英文で3000語程度のエッセイを提出する。最終的には、学生が所属する各大学院での単位認定に繋がるという仕組みだ。学生も一所懸命に書いた作品であるから、こちらも精読しなければならない。冬休み中の宿題が増えるので、ちょっと頭が痛い。

国連大学大学院共同講座のウェッブサイト

http://www.unu.edu/jgc/

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2008年12月16日 (火)

世田谷ボロ市・代官餅

Ca39005212月15日と16日の2日間、世田谷の暮れの風物詩となっているボロ市が行われている。ここの名物は代官餅、臼でつきたての餅を「辛みダイコン」、「きなこ」または小豆の「あんこ」でたべる。つきたての暖かいうちにほおばるととてもおいしい。ただし、寒い中、長蛇の行列に並ばないとありつけない。そこがまた、希少価値がある。食べ過ぎるとおなかがもたれて、メタボ腹にCa390054なるので注意が必要です。写真は、15日朝のボロ市通りのスナップです。

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2008年12月 7日 (日)

講演会と大学院生の就職祝い

 12月5日(金)、午後3時半より、多摩キャンパス内の小ホールにおいて、俳優の宇梶剛士さんの講演会があったので聴きに行った。テーマが学生向きの講演であるということ以外は、どのような話しをするのか解らなかったが、宇梶さんの母親がアイヌの出身でありアイヌ民族の差別是正のための様々な運動をしている人なので、どのような話をするのか興味があった。
 講演は、アイヌ民族についての歴史的な話しから始まり、自らの生い立ちを述べることあたりからが中心であった。少年期の親との葛藤と高校時代の野球部の経験で味あったいじめを経験して以後の話しが興味深かった。

 宇梶少年は、高校一年の時に野球部に入って将来の成長株としてプロのスカウトにも注目されるほどであった。だが上級生から1年生に対する長期間にわたるリンチが毎日のように続き、いたたまれず遂に監督や部長に報告したが結局、上級生による暴行の事実が社会的に暴露されることを懸念した周囲の大人たちによって訴えが聞きいれられなかった。

 そんなことがあってついには暴力事件を起こし、高校中退となり、その後は次第に暴走族の仲間に引き込まれていく。いつのまにか、生来の長身、屈強な体躯の故か、暴走族グループのリーダーとして喧嘩、抗争事件の中心にいた。ある時、暴力抗争事件の首謀者として警察のご用になった。少年院に送られ、もんもんとした日々を重ねる中、母親から差し入れられたチャップリンの自伝を読んだ。

 当時の宇梶さんは、少年院に送られ心が荒んでいたけれども、極貧の生活から身を起こし、笑いともに社会を風刺し、弱者に対して常に優しく希望をもたらすチャップリンの生き方に直感的な衝撃を受け、自分のこれまでの過ちに気がつき、一人の部屋の中で耳が赤くなるほど自己を恥じ入ったそうだ。こうしたチャップリンの生き方に触発されて、俳優の道を選ぶことになったという話であった。

 宇梶少年は、これまで大人たちを憎み、恨みに思っていた自分がかわいそうだということに気がついた。結局、他人を憎み恨むことにより自分はその恨み酷い人間にとらわれていることになり、自分を見失うことに他ならないのだということを悟った。他人を憎んだり、羨んだりすることは、自分がその他人に支配されていることになる。言葉の細部は、失念したが、要するに、それでは駄目だということが分かった、だから自分をもっと大切しなくてはいけないということを強調されていたように思われる。

 宇梶さんの講演の主題は、弱い者への共感を原点としながら、自分が何者であるかを常に見つめることが大切だということに集約される。それは、青少年期の社会への反抗の経験から自らを見つめ直すことにより得られた哲学なのであろう。またその姿勢は、自らがアイヌの血を受け継いでいることと、どこかで繋がっているようであった。

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 そんな感じの講演を聴いた後、夜は、博士課程の大学院生の就職祝いに出 席した。京王線の聖蹟桜ヶ丘駅近くのイタリア料理店で1次会の後、Stand by Meという知る人ぞ知る有 名店での2次会。当夜は12月の金曜日の夜ということで、おじさんバンドによるクラリネットとピアノの渋いライブ・セッションで盛り上がっていました。またトランプ・マジックと気功を得意とする心理療法士さんのパフォーマンスを目前で披露され、幻惑されていたところ、アリアの歌声とピアノ演奏が響き渡る中、主賓はさておいて宴は最高潮に盛り上がっていったのである。

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2008年12月 4日 (木)

わが国における国際人権法の受容と国籍法改正案

1.12月3日(水)の18時から、霞ヶ関の弁護士会館で開かれた国際人権に関する研究会に法科大学院の学生らとともに参加した。テーマは『日本の弁護士よる国際人権法活用の道程』ということで、1979年の国際人権規約の批准当時から、現在に至るまでの間に、日弁連の活動を通じて国際人権法がどのように活用され、わが国の法規範の中で国際人権法が展開してきたかを振り返るという企画であった。

Ca390042確かに、このように30年にも及ぶ期間を振り返ってみれば、国際人権条約の批准により新規に立法が行われたり、条約の要請に適合するように法律が改正されたことは、幾度かに及んでいる。また裁判実務を通じて国際人権法は、いくつかの有意義な判決にインパクトを与え、またその価値を発揮してきた。

2.他方で、30年経過して未だ達成されていない課題が多いことにも気がつく。1979年に国会において国際人権規約が批准されたとき、30年経過した後にも、個人通報権を認める選択議定書も批准されていないとは想像しなかった。

 わが国では国際人権法の積極的な展開がこれまで不足していた訳は、国際社会における我が国が置かれた立場と無縁ではないと思われる。国際人権は、西欧的な起源を有しており、ヨーロッパやラテンアメリカ諸国においては共通の文化的、宗教的な遺産を共有しあう共同体的な環境が背景にある。それに対して、我が国は、そのような共通の人権的な伝統が存在しないアジアに位置しながらも、西欧的な人権、民主主義等の価値を共有する立場をとりつつ、文化的な基盤はアジアに軸足を置いているのである。そのような独特かつ複雑な国際的地位にあるといえる。

 他方で、そのようなアジアの一国としての文化的背景を背負いながら、アジア諸国と欧米その他の諸国との間の架け橋となって、受け入れ可能な共通の普遍的人権規範を浸透させていくこともわが国の役割であろう。

3.わが国がアジア諸国のなかで友好的な関係を築くとともに、ソフト的なパワーを発揮しようとするならば、人権面においても襟を正し、「まずは隗より始めよ」の精神で臨むことが求められるであろう。すなわち、国内において国際人権法の活用をさらに図る必要がある。そのためには、従来から既に指摘されているように、日本国憲法の人権規範の中に国際人権法の基準をとりこみ、日本の法体系の下で国際人権法の具体化をさらに強固なものとすることが課題となるだろう。

4.そのような意味で、本年6月4日の最高裁による日比混血児の日本国籍確認訴訟に関する国籍法3条違憲判決は、画期的な意義を有している。同判決では、国際人権自由権規約や子どもの権利条約を引用しながら、違憲判断を導いていたのである。この判決は、日本人である父とフィリッピン人である母から生まれた非嫡出の子に本来認められてよいはずの日本国籍を認めるたという点では当然であるとも言える。当然のことが当然でなかったことがおかしいのであるが、遅まきながらも国際社会におけるわが国の地位をも考慮した上で、従来の法制度の誤りを正したという点で意義がある。

5.今日のニュースでは、この違憲判決を受けて国会において国籍法改正案が可決される運びとなったことを伝えている。将来を背負っていく子どもたちに日本国民としての地位を認め、権利を保護することができたという点でも、またアジア諸国との共存を図っていくというためにも本件判決は、評価できる。

 今回の国籍法の改正につながるは一連の法的展開は、アジアの中の日本という立場において国際人権法を推進していく手がかりがあるように思われるのである。

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