2012年度国際法ゼミ

  • ゼミ一同全員集合
    本年度のゼミをフォトアルバムで紹介していきます。

2011年度国際法ゼミ

  • 卒業式の日に(2012年3月25日)
    東日本大震災の直後の2011年4月から緊張した状態で始まったゼミでしたが、進むにつれて打ち解けていきました。最終的なゼミ論の完成まで頑張りました。

2010年度国際法ゼミ

  • 2010年ゼミ卒業記念アルバム写真
    2010年度の法学部国際法専門ゼミのアルバムです。 3,4年合同なので、人数は30人になります。これまでのゼミで最も大人数となりました。

2009年度法学部国際法ゼミ

  • 記念撮影
    共通テーマ「国際人権・人道秩序の再構築」

2008年度国際法ゼミ

  • 北村ゼミ全員集合
    2008年度中央大学法学部国際法ゼミの紹介 「国際人権・人道秩序の再構築をめざして」

2007年度国際法ゼミ

  • クリスマスの季節・忘年会後
    国際法ゼミ(2007年度)の紹介アルバムです。

2006年度国際法ゼミ

  • 2006年度のゼミ生集合写真(2)
    2006年度国際法ゼミのアルバムです。

熊本紀行

  • ライトアップに照らし出される熊本城
    2009年9月14日から19日まで、熊本大学法学部にて集中講義(国際人権論)を行いました。 2011年1月21日、22日に所用のため熊本大学を訪れました。

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2011年8月

2011年8月 9日 (火)

EUのヨーロッパ人権条約への加入協議が進展

1.ヨーロッパ連合(EU)のリスボン条約では、EUがヨーロッパ人権条約(ECHR)に加入することを予定していた(EU条約6条2項)。リスボン条約が、2009年12月1日に発効して以来、EUのECHRへの加入が実務レベルでの協議の対象となってきた。先月には協議は大詰めを迎え、EUのECHRへの加入に関する協定書案が公表された。

2.EUがECHRに加入するには幾つかの壁があった。ECHRは、ヨーロッパ評議会(EUとは別物のヨーロッパ諸国間の地域的機構でロシアやトルコも含む47か国によって構成される)の「加盟国」間の条約である。EUは、国家ではないから「加盟国」ではなく、またヨーロッパ評議会の加盟国でもない。したがって、EUがECHRシステムに加わるには、ECHRの枠組の変更を必要としていた。そのためには、補足的な解釈条項、ヨーロッパ人権裁判所の手続の調整、EU構成国の法秩序とEU自体の法秩序の相互関係、その他の技術的な事項などについての見直しが検討されてきた。EUと人権条約締約国との間の加入協定を締結するための協議が進められてきた。

3.協定案には、次のような諸点が含まれている。

・人権条約及びその議定書へのEUの加入によってEUは、その機構、機関、部局又はそれらのために行為する人の行為、不作為に対してのみ責任を負うこと。

・人権条約中の「国」または「締約国」という文言は、EUについても該当するものとみなされる。

・「国の安全」、「国内法」、「国の当局」などの表現は、必要な変更を加えてEUにも適用される。

・人権条約の留保に関する規定(57条)は、EUについても適用されるように改正される。
・EUに対する申立事件において、他の国家ともにEUが共同被告となる場合についての規定が設けられる。(3条)

・国家間の事件(Inter-State cases)は、当事者間の事件(Inter-Party cases)と名称が変更される。(4条)

・EU裁判所の手続は、人権条約35条2項(2)及び55条にいう他の国際的調査若しくは解決の手続としてはみなされないこと。(5条)

・人権裁判所の裁判官の選挙を行うヨーロッパ評議会の議員総会においては、EU議会の代表が出席して投票する権利を有する。(6条)

4.これらの条件はEUがECHRに加入するための最小限の要件を定めたものである。EUの側として、EU裁判所と人権裁判所との間の種々の問題などはカバーされていない。例えば、実体法との関係では、EU法の秩序の下で人権条約はどのような法的地位を有するのか。EU裁判所の手続において、人権条約違反の申立を直接受理し、審理することができるのか。また、手続面では、EU裁判所の手続は、人権裁判所との関係においては国内的な救済手段と同列になると思われる。では、どのような場合に、EUの救済手続が尽くされたといえるのか。人権裁判所においてEU法の一部が人権条約に違反すると判示された場合、EUはこれにどのように応じるのか。人権裁判所の判決は、EU法秩序の下でどのような性格を有するのか。これらの問題はEUの側の問題として詰める必要があると思われる。

以上については、詳しくは次の資料を参照。

― 8th Woking meeting of the CDDH informal working group on the accession of the European Union to the European Convention on Human Rights (CDDH-UE) with the European Commission, Draft legal instrument on the Accession of the European Union tothe European Convention on Human Rights, Strasbourg, 19 July 2011.

2011年8月 6日 (土)

法学部・ゼミ合宿(新潟県・津南町にて)

P1010323_web_l 8月3日から2泊3日でゼミ合宿に行ってきました。場所は、新潟県津南町のニューグリーンピア津南という宿泊施設です。新宿から直行バスで4時間くらいかかります。でも、バスに乗ってしまえば乗り換えもなく、宿舎の玄関先まで付けてくれので楽でした。

 
 新潟県中越地方の豪雨が心配されましたが、宿舎の周辺はほとんど被害はなかったようです。幸いにして合宿期間中は好天にも恵まれました。

 
 合宿の内容は、(1)模擬国連安保理、(2)安楽死事件に関する模擬裁判、それに(3)貿易ゲームという一種のシュミレーションゲームを行うなど、盛りだくさんの充実したゼミ合宿となりました。

 (1)の模擬国連安保理では、国連のリビア介入をヒントとして、人道的介入の是非をめぐり各常任理事国の立場で制裁案の是非を巡って討議を繰り広げ、最終的な決議案の採択を目指すまでの国際法上の問題を理解することを目的とするものです。

 (2)の模擬裁判では、日本では認められていない安楽死問題を背景として、安楽死が認められるべきかどうかをめぐって弁護側と検察側の意見を陳述し、最後には裁判員裁判形式により判決を下すものです。

 (3)の貿易ゲームは、アメリカ、日本、インド、サウジアラビア、アフガニスタンなどの国に別れて、資源の多寡、技術力、人口などの様々な所与の条件の下で、自国の繁栄を目指すためには、貿易交渉、外交戦術を駆使しながらいかなる戦略的施策をとるべきかを実際的かつ体験的に考えるシュミレーション・ゲームです。
 
P1010322_web_s_3

 8月4日の午後は、津南町の「ひまわり広場」に行ってきました。おそらく先週の豪雨がなければもっとひまわりが咲きそろっていたのかも知れませんが、まずはお約束の満開のひまわを背景に記念写真とあいなりました。

 【おまけ】 「ぶよ」(ぶゆ)にご注意。

 宿泊先近辺の自然環境は、大変すばらしいのですが、私をはじめ何人かの学生がぶよに刺されました。痛み、かゆみは蚊の比ではありません。帰ってから皮膚科に行ったら、デルモベード・クリームというステロイド剤を処方されました。非常に強い薬です。

 

2011年8月 1日 (月)

ヨーロッパ人権裁判所の長官にニコラス・ブラツァ判事を選出

1.さる7月上旬に、ヨーロッパ人権裁判所の長官に英国選出のニコラス・ブラツァ(Nicolas Bratza)裁判官が選出されたとのことである。現在のフランス選出のコスタ長官が11月に任期が満了になった後に、ブラツァ長官が誕生する運びになる。ブラッア裁判官は、法廷弁護士(Barrister)出身の裁判官で1998年に人権裁判所の裁判官に就任している。2007年以降は、副長官を務めている。

P10100132.ヨーロッパ人権裁判所は、締約国と同数(47人)の裁判官によって構成される。裁判官は、各締約国から指名された候補者のなかからヨーロッパ評議会の議員総会の選挙によって選ばれる。任期は9年、70歳で定年となる。

3.英国からは、マックネア長官(1959~1965年)、ウォルドック長官(1971~1974年)と過去に2人の長官を人排出している。2人とも蒼々たる国際法学界の重鎮である。それ以来、久方ぶりに英国人判事の長官が誕生することになる。

4.ヨーロッパ人権裁判所の当面の大きな課題は、EUのヨーロッパ人権条約への加入を実現することであろう。これはEUの課題といった方が良いかも知れないが、人権裁判所の側にとっても重要な案件であろう。もっとも、EUの加入問題の検討は順調に進んできているので、コスタ現長官が11月に退官するまでには加入協定の締結が実現するかもしれない。また、累積する膨大な付託事案の円滑な処理という困難な課題も抱えている。

5.また、英国人裁判官としては、とくに受刑者に対する選挙権をはく奪している英国法が人権条約違反であるとの人権裁判所の判決に対して、英国議会からの異論を前にして、微妙な対応が求められるであろう。

P10100266.ヨーロッパ人権裁判所は、私を含む日本人研究者に対しても良好な対応をしていただいている。例えば、ヨーロッパ人権裁判所の判例に関する科研費共同研究のための調査のために、人権裁判所を何度か訪れたことがある。特に、ビルトハーバー長官の時代には、長官を含む数人の判事とストラスブールのレストランで会食を行ったことも想い起こされる。その成果は、2008年に刊行された「ヨーロッパ人権裁判所の判例」(信山社)に結実している。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-14028602

[写真の説明] 写真上は、ヨーロッパ人権裁判所の建物。ストラスブール市内。

写真下は、ストラスブールのプティ・フランス地区。

タイ・カンボジア国境紛争に関する国際司法裁判所の暫定措置

1.プレア・ビへア寺院の位置 

 タイ、カンボジアの国境地帯に位置するプレア・ビヘア(タイ語ではカオプラウィハーン)寺院というクメール様式の寺院の遺跡がある。
 
 実は、5年前(2006年)の夏に国際インターンシップという授業の一環として、学生とともにこの一帯の地雷除去作業を実地見学・体験してきたことがある。バンコクからは、飛行機でウボンンラチャタニというタイ北東部の主要都市に飛び、そこから自動車でシーケサットという町を経て、カンボジア国境まで数時間ひた走ると寺院を訪れることができる。
 
 その時は、これからは地雷も除去され、いよいよ平和が取り戻されるかと思ったのだが、あにはからんや、その後はカンボジア、タイ両国間で武力衝突が発生してしまった。今日なお問題は、解決されていない。

Cimg0767_2 そのような中で、この寺院付近一帯の領土の帰属を巡って国際司法裁判所(ICJ)は、7月18日に暫定措置を決定したとの報道があった。今回の、ICJの判断に至るまでの国境問題の背景は、どうなっているのだろうか。

2.国境紛争の歴史 

 そもそも、プレア・ビヘア寺院は、カンボジアとタイの国境線上に位置するために、100年ほど前から寺院一帯の領土の帰属を巡って紛争があった。1904年のフランス(当時カンボジアはフランス領インドシナに含まれていた)とシャムとの間の条約では、両国間の国境がタングレク山脈の分水嶺に従うべきことを定めていたが、具体的な国境確定は両国間の混合委員会により決定するべきであるとしていた。1907年にシャム側の要請によりフランスが作成した地図では、寺院はカンボジア側に位置していた。

 Cimg0777


第2次世界大戦以後、タイは同寺院に警備兵を派遣して、この地図は本当の分水嶺に基づいていないので錯誤があり、寺院付近の領土はタイ領であると主張した。カンボジアとの間で国境紛争が起こったので、両国間での協議により国際司法裁判所にこの問題は帰属した。

 国際司法裁判所は、1962年の判決により、タイ側の地図上の錯誤という主張はタイの一貫的な「黙認」の態度からして認められず、同寺院はカンボジア領であることが認められた(以上の経緯については、『国際法判例百選[別冊ジュリスト]を参照)。

3.カンボジア内戦後の状況

 しかし、その後もプレア・ビヘア寺院一帯は密林の奥地であるというだけでなく、長期のカンボジア紛争の時代において人の接近が阻まれてきた。特にポルポト派が付近一帯を根拠地として地雷を敷設したため、寺院を訪れることは、いっそう困難となった。

 カンボジアが紛争から抜け出て、1993年には国連PKO活動を経て、新制カンボジア王国が成立することによって、平和な時代が到来した。

 
 カンボジア側から寺院にアクセスするには、300メートルほどの峻険な断崖絶壁を徒歩でよじ登らなければならない。タイ側からは、自動車道路も近くまで整備されていて観光客がバスで見学、参拝に訪れることもできる。

4.日本の支援による地雷除去と世界遺産登録

 Cimg0733
カンボジア紛争で寺院付近は、地雷が埋められ人が近づけなかった。しかし、日本の援助などを通じて、NGOによる支援により付近一帯の地雷除去作業が行われ、2006年夏には作業はほぼ完了した。これからは、寺院を中心とする観光を資源として、カンボジア、タイの北東部の観光資源として活用できるよう期待されていた。

 2008年7月には、ユネスコがプレア・ビヘア寺院を世界遺産としての登録を認めた。これにより、寺院を中心とする観光が一躍注目されることになった。

 しかし、そのような期待とは裏腹に、同年10月には、両国間の軍事衝突が発生し、兵士が犠牲になる事態が生じてしまった。今回、タイ側は寺院がカンボジア領であることは争っていないようであるが、付近一帯の4.6平方キロの土地の帰属をめぐって両国間の紛争が生じている。カンボジア側は、1962年のICJ判決により寺院周辺の土地も含めてカンボジアの領土であると主張している。タイ側は、カンボジア領土は寺院敷地に極限され周辺の土地はタイ領であると主張している。
 

5.今回の国際司法裁判所による暫定措置命令の内容
 
 

 国際司法裁判所は、7月18日に暫定措置命令を与えた。これは、最終的判決を言い渡す前に回復不能の損害が発生するのを防止するためにとられた措置であり、以下のような内容を指示したものである。

 (1)カンボジア、タイ両軍の暫定非武装地帯からの撤退
 (2)同地帯における軍事的活動の停止
 (3)タイ側は、プレアビヒア寺院へのカンボジア側からの自由なアクセスを妨害しないこ  と
 (4)タイ側は、カンボジアの民間人に対する食料等の支給を妨害しないこと
 (5)タイ、カンボジア両国は、アセアン(ASEAN)の枠組内での協力を継続すること
 (6)ASEANが任命した監視員が暫定非武装地帯に対するアクセスを認めること
 (7)当法廷に継続中の紛争を悪化、拡大させ又は解決を困難とするおそれのある行動を慎むこと
 (8)上記の措置への対応について両国は、ICJが本案判決を言い渡すまでの間、関連情報をICJに提供すること

6.国境紛争の解決にむけて
 
 

Cimg0785_3 今回のICJの暫定措置は、あくまで本案判決までの回復しがたい侵害を避けるための暫定的措置を指示したものである。アセアンが両国の国境問題にどのように対応できるか、また両国はアセアンによる調停を受け入れることが今後の課題であろう。

タイ、カンボジア両国の国内の政治問題も介在しているようである。両国が相互に歩み寄ることによって世界遺産の寺院を中心とするフリーゾーンを設定することができないものかと思う。

 実は、かつて地雷除去活動を実地体験した際に、現地の人たちと歓談する機会があった。その時、同行日本人学生の1人が、「これからはカンボジアの人たちとも仲良くしていく必要があると思うが、皆さんはカンボジアの人をどのように思いますか?」と実に愚直にして鋭い質問を発したことを今更のように思い出した。その時の反応は、一瞬のためらいがあったように記憶している。現地の人々には我々の窺い知れない複雑な思いがあるのだろう。

もしや、文字通り一所懸命に地雷を除去したあの場所が再び地雷原となっているのではないかと思うと心がいたむ。一日本人としても、この一帯の平和が戻り、人々が平穏無事な日常生活を取り戻し、観光客も安全に行き来できる日が早く訪れるように望みたい。

 国際司法裁判所の役割は、非常に注目される。

[写真の説明](いずれも2006年8月7日に撮影したもの)

 

・1番上の写真は、プレアビヘア寺院の中枢部分。カンボジア国旗が翻る。

・上から2番目も寺院の第1楼門付近

・上から3番目の写真は、日本の支援を受けた地雷除去活動の現場

・最下部は、寺院の頂上付近からカンボジア側の下界の景色。カンボジア側からみると「天空の寺院」である。

 
 

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カンボジア・集団殺害(ジェノサイド)博物館(Genocide Museum)

  • 供養塔
    カンボジア、プノンペンのジェノサイド博物館の写真  1975年~1979年にかけてカンボジアを支配していたクメール・ルージュ(赤いクメール)政権の下では、現代史上にもまれなジェノサイドが行われ、約170万人の犠牲者を出したと言われている。人道に対する罪を犯した虐殺の責任者を処罰するために、国連とカンボジア司法当局との共同により設置された特別法廷において裁判がようやく開始された。  この裁判では、ポルポト政権の責任者が訴追されようとしている。国際人権・人道法の実施が、果たして確保されるのかどうか、この裁判の行方に注目していきたい。  この博物館は、当時、多数の政治犯等を捕らえ、拷問の上、殺害を実行した場所である。決して物見遊山で訪れるような場所ではない。しかし、かつての忌まわしい行為の実態を知ることにより、人間の愚かさを顧みる意味はあるだろう。 ※一部に凄惨な写真があります。ご留意ください。

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