2012年度国際法ゼミ

  • ゼミ一同全員集合
    本年度のゼミをフォトアルバムで紹介していきます。

2011年度国際法ゼミ

  • 卒業式の日に(2012年3月25日)
    東日本大震災の直後の2011年4月から緊張した状態で始まったゼミでしたが、進むにつれて打ち解けていきました。最終的なゼミ論の完成まで頑張りました。

2010年度国際法ゼミ

  • 2010年ゼミ卒業記念アルバム写真
    2010年度の法学部国際法専門ゼミのアルバムです。 3,4年合同なので、人数は30人になります。これまでのゼミで最も大人数となりました。

2009年度法学部国際法ゼミ

  • 記念撮影
    共通テーマ「国際人権・人道秩序の再構築」

2008年度国際法ゼミ

  • 北村ゼミ全員集合
    2008年度中央大学法学部国際法ゼミの紹介 「国際人権・人道秩序の再構築をめざして」

2007年度国際法ゼミ

  • クリスマスの季節・忘年会後
    国際法ゼミ(2007年度)の紹介アルバムです。

2006年度国際法ゼミ

  • 2006年度のゼミ生集合写真(2)
    2006年度国際法ゼミのアルバムです。

熊本紀行

  • ライトアップに照らし出される熊本城
    2009年9月14日から19日まで、熊本大学法学部にて集中講義(国際人権論)を行いました。 2011年1月21日、22日に所用のため熊本大学を訪れました。

国際刑事法

2012年5月31日 (木)

チャールズ・ティラー元リベリア大統領に50年の拘禁刑判決

1.シエラレオネ特別法廷とは

 西アフリカの小国であるシエラレオネは、1990年代から2002年ごろまで内戦が続いていた。その間に行われた残虐、非人道的な行為を処罰するために国連の支援を受けて「シエラレオネ特別裁判所」が設置されている。同裁判所は、5月30日に戦争犯罪などで起訴されていたチャールズ・ティラー(Charles Taylor)元リベリア大統領に対して50年の拘禁刑(禁錮刑)を言い渡した。

2.チャールズ・テイラー元大統領に対する訴追理由

 シエラレオネの隣国であるリベリアのティラー元大統領は、1990年代後半に続いたシエラレオネ内戦の反政府武装勢力の一つである「革命統一戦線」(Revolutionary United Front)に対して武器を提供することにより支援し、介入したことが問われていた。シエラレオネ内戦時代の人道上の犯罪、戦争犯罪を裁くために設置された特別法廷は、ティラー元大統領に対してテロリズム、殺人、強姦、虐待の他、少年兵を徴募し使用したことにより非人道的行為などの11の容疑で訴追されていた。2359頁にも及ぶ長大な判決は、同裁判所のホームページからダウンロードすることができる。

3.内戦への関与

特にティラー元大統領は、国際社会の信頼を裏切る形で内戦に介入し、武器提供の見返りとしてダイヤモンドを手に入れ私腹を肥やしたされる行為が量刑の判断において加重的な要素になっているようだ。シエラレオネ内戦とダイヤモンド取引との関係については、レオナルド・デカプリオ主演のハリウッド映画「ブラッド・ダイヤモンド」でも話題となった。

3.ダイヤモンド取引との関係

公判の過程では、スーパー・モデルのナオミ・キャンベルさんが検察側証人として出廷したりしたことも話題となった(このブログでもとりあげた)。キャンベルさんは、ティラー被告人からダイヤモンドの原石を譲り受けたことがあるかどうかを問われたものである。もちろん知らずに譲り受けたこと自体は罪にはならないだろうが、それが事実であればティラー被告人がダイヤモンド原石を所持していたかどうかの重要な証言となる。キャンベルさんの証言は判決文(5368段)でも証明の一部として援用されている。

4.判決の意義

ティラー元大統領に対する今回の判決の意義は、たとえ国家の大統領(元首)であっても、戦争犯罪、人道上の犯罪に該当する行為を犯せばその責任は必ず問われるべきことを実際に確認したことであろう。ただし、64歳の元大統領に対して50年の拘禁刑判決は、実質的に終身刑も同様であり、厳しすぎると弁護側は主張している。したがって、控訴する方針と伝えられている。だが、ティラー元大統領の行ったことは、いわば隣家の火災に際して、薪(たきぎ)をくべたり油をかける行為と同じことのようである。人間のする行為ではない。この判決によっても、シエラレオネ内戦によって失われた多数の命が蘇ることはなく、心身の障害が癒やされる訳でもない。しかし、将来発生する残虐行為に対する警鐘とはなるだろう。

4.国際刑事法廷の実効性確立に向けて

国際社会には、常設的な国際刑事裁判所(ICC)を初めとして、旧ユーゴ国際刑事裁判所、ルワンダ国際刑事裁判所の他、シエラレオネ特別法廷のような混合裁判所も設置されている。カンボジアのクメールルージュの指導者を訴追しているカンボジア特別法廷も混合裁判所の一つである。今年になってから、これらの国際刑事法廷による注目すべき判決が続いている。

すなわち、国際刑事裁判所(ICC)は、3月14日にコンゴ・民主共和国のルバンガ被告人に対して少年兵を徴募し、戦争に駆り立てたことなどにより有罪判決を言い渡したばかりである。カンボジア特別裁判所も2月にS21政治犯収容所の元所長に対して有罪判決を2月に下したところである。植えた種が開花し、やがて実を付けるように、これまでの国際刑事法廷の設置をめぐる長い努力がようやく報われる結果を迎えているといえるだろう。

シエラレオネ特別裁判所のホームページ
http://www.sc-sl.org/

2010年12月14日 (火)

ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジ氏の逮捕と引渡し

 先週の月曜日(12月6日)、政府機密情報の暴露で問題とされているホームぺージ”ウィキリークス(WikiLeaks)”の創設者であるジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏がイギリスのロンドン警視庁により逮捕された。逮捕の容疑は、世界中で騒がれている外交及び軍事等に関する国家機密情報の漏洩問題ではなかった。スウェーデン国内で2人の女性を強姦した容疑だという。

 この逮捕のきっかけは、スウェーデンの司法当局が、ヨーロッパ逮捕状(European Arrest Warrant/EAW)を発給したことに始まる。アサンジ氏は、6日の夜に警察に出頭して、イギリスの2003年犯罪人引渡法(Extradition Act 2003)3節により逮捕されたものである。英国における同氏の引渡しのための法的手続は、同法第1部に従って行われる。それによれば、最初の聴聞が同法、7節、8節に従って行われ、21日以内に、引渡しが可能であるかどうかについての法的な判断を示すことになる。

 EAWは、ヨーロッパ連合(EU)諸国間において、従来の犯罪人引渡条約を代替する制度として2002年に制度化されたものである。この制度は、EU諸国家間では、国境の検問が廃止されるに伴い、犯罪者が国境を越えて逃亡することが容易になったために、EU域内において国境を越える犯罪捜査を容易にするために導入されたものである。要するに、EUの域内のある国において発給された逮捕状の効力が他のEU構成国内においてそのまま認められる制度である。アサンジ氏がロンドン警視庁に出頭することにより逮捕されるということ自体、スウェーデン当局の発給した逮捕状が英国内でも認められるということを意味している。

 EAWは、容疑者の身柄引渡を簡素化するものであるが、同制度はこれまでもかなり論争を巻き起こしている。EU諸国の間でも、国によって刑罰の度合いは異なるために、例えば、発給国では重い罪であっても執行する国では軽微な犯罪であるというような場合がある(豚の窃盗で国際手配という話など)。また、EAWの制度はテロ対策が主たる目的であるために、引渡しを迅速に行うことに主眼が置かれ、人権への配慮が軽視されるのではないかという危惧もある。特に、アサンジ氏の場合のように、政治的な問題に関連する事案では、このような懸念が強くなるであろう。強姦容疑は、日本流の別件逮捕のような使われ方がさなれるならば大きな問題となるだろう。

 英国のガーディアン誌のAfua Hirshによれば、アサンジ氏は、特にスウェーデンにおい不公平な方法により自由を奪われる恐れがあるので、英国の1998年人権法の下で保護されるべきであると主張している。

 アサンジ氏の逮捕容疑は今のところ、強姦とされているが、核心はそうではなく、ネット上での政府関係機密文書の暴露である。そうした行為がどのっような犯罪に該当するのか?サイバー犯罪ともいえない。また米国の国益が侵害されたという主張を、具体的に証拠づけられるだろうか?アサンジ氏は、オーストラリア国籍であり、スウェーデンでの強姦罪について英国で身柄が拘束されている。今後、彼を訴追し処罰するとしてもどの国が行うのか?種々の困難な問題が想定される。

 アサンジ氏の引渡し理由が強姦の罪であれば、特定主義の要請により、スウェーデンではそれ以外の罪で処罰することはできない。しかし、米国がスウェーデンに対してスパイ罪等により、引渡しを請求した場合にはどうか。スウェーデンでは、スパイ罪による訴追が行われないとしたら、米国からの引渡しが請求された場合にはこれに応じることもあり得ないではない。

 しかし、犯罪人引渡法の一般原則では、政治的な犯罪は引渡してはならないとする原則が確立している(政治犯不引渡の原則)。また、双方可罰性(double criminality)の要請があるので、米国がスパイ罪で引渡しを要請してもスウェーデン国内において同様の罪名により犯罪を構成しなければ、スウェーデン側が米国への引渡しを拒絶することもできるであろう。

 また、アサンジ氏の国家の機密情報の暴露行為について、国家的利益を犯すという主張があるのに対して、表現の自由という観点から罪を問うことが可能であるのかという反論も可能だろう。

 この問題の対応は、今後も国際的に大きな関心を呼ぶであろう。このブログでも推移を注目したい。

ガーディアン誌

http://www.guardian.co.uk/media/2010/dec/07/julian-assange-legal-fight-extradition

2010年8月 5日 (木)

スーパーモデルは「紛争ダイヤモンド」をプレゼントされたのか

 かつて西アフリカのシエラレオネでは、1991年3月以降、ダイヤモンド利権などをめぐる10年以上の内戦において少年兵を戦闘に駆り立てたり、民間人に対する多数の残虐行為が行われた。12万人にも登る犠牲者を生んだ内戦中の数々の残虐行為を裁くために設置された裁判所がある。「シエラレオネ特別法廷」(Special Court for Sierra Leone/SCSL)と呼ばれている。

 普段は地味な存在の特別法廷であるが、国際的スーパー・モデルのナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)さんや女優のミア・ファロー(Mia Farrow)さんなどが同法廷に証人として出廷することで、にわかに世情注目されることとなった。キャンベルさんは8月5日にハーグで開廷される証人尋問のために出廷した。

 英国BBCの伝えるところによれば、ナオミ・キャンベルさんが同法廷において起訴されているチャールズ・ティラー(Charles Taylor)元リベリア大統領から、「血のダイヤモンド」(紛争ダイヤ)」のプレゼントを受け取ったかかどうかという点について彼女自身を法廷に呼んで証言をすることになったのだ。

 ティラー元大統領は隣国のシエラレオネの内戦に介入して、武器を提供し、その見返りとして残虐非道として知られる武装グループからダイヤモンドを不正に入手していたという容疑がかけられている。こうした背景は、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」(血のダイヤ)でも取り上げられたことで一般にも知られるようになった。このような紛争の資金源としてダイヤモンドが取引の対象となるのを防ぐためにに「キンバリー・プロセス」が合意され、紛争ダイアでないことの証明が付されるようになっている。

 さて、そのナオミ・キャンベルさんがダイヤモンドを受け取ったとされるのは、今から13年(1997年)前に、南アフリカのマンデラ大統領から直々に豪華列車の開通記念のパーティに招待された際にさかのぼる。一晩が明け、朝食の際に、ミア・ファローさんがキャンベルさん自身から元大統領の使いの者からダイヤモンドをプレゼントされたという話しを直接聴いたとされている。

 キャンベルさんは、当日の法廷において宿泊先の部屋を尋ねてきた者から、「くすんだような石」(dirty-looking stones)が入った小袋(pouch)を受け取ったことがあると証言した。しかし、誰からのプレゼントであるかは分からないとも述べた。なお、日本の新聞記事では「汚い石」と訳されているが、これは明らかにおかしい。この"dirty-looking stone"というフレーズは、受け取った石の色合いを言っているのであり、「輝いていない」、「くすんだ」という意味に訳すべきであろう。決して、汚れた、汚い石などではない。カットされていない未加工の原石を含意する言葉である。

 この贈り主がティラー被告人であり、かつこの「石」が紛争ダイヤだとすれば、検察側にとっては、元大統領がダイヤモンドを不正に得ることによって内戦に関与していた証拠として重要な意味を持っている。未加工のダイヤの原石だとすれば、紛争ダイヤである可能性は高くなるであろう。その事実が証明されれば、元大統領の戦争犯罪を裏付ける有力な傍証となりうる。検察は、ダイヤがもたらした武器によって内戦が激化し、少年兵が前線で酷使されたり、数々の残虐な行為を助長したことを立証したいのであろう。

 この情報は、人権・人道問題に積極的な支援活動をしているミア・ファローから出てきたものようだ。ナオミ・キャンベル自身は、当初は否定していたが、法廷では「石」を受け取ったことを認めたが、贈り主については明言しなかった。その点で検察側の期待には十分に応えていないとみられる。

 なおシエラレオネ特別法廷は、1999年7月にシエラレオネ政府、反政府勢力の革命統一戦線(Revolutionary United Front/RUF)および国連の三者間の協定によって設立が合意された。同年10月には国連安保理は、シエラレオネ派遣団(United Nations Mission in Sierra Leone/UNAMSIL)を派遣して、その下で、国連と政府は、2002年1月にシエラレオネ特別法廷を創設した。同法廷は、「混合的管轄権および組織構成を有する条約上設置された独自の裁判所」とされている。

 チャールズ・テイラー被告人は元大統領(国家元首)として在任中の行為により訴追されている。法廷は、シエラレオネ国内に設置されているが、ティラー被告人の事件は警護等のためにオランダのハーグの国際刑事裁判所の施設を使って審理が行われている。

 SCSLの対象とする犯罪は、1996年11月30日以後にシエラレオネ領域内で行われた住民に対する重大な非人道的行為(殺人、殲滅、奴隷、追放、投獄、拷問、強姦など)(裁判所規程2条)、ジュネーブ諸条約共通3条および第二追加議定書の違反(同3条)、およびその他の国際人道法の重大な違反などが挙げられている。また、 PKO要員に対する攻撃、15歳未満の少年兵の徴募と敵対行為への積極的参加を強制したことなど国際人道法の重大な違反が含まれている(4条)。他に、国内法上の犯罪として13歳未満の少女の虐待、誘拐などの国内法上の犯罪も対象犯罪に含むとしている。ただし、ジェノサイドは含まれていない。

BBC のウェブ記事

http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-10875811

ナオミキャンベル
http://www.supermodels.nl/naomicampbell

南アフリカ豪華列車の旅
http://www.his-j.com/navi/sp/africa/06.htm

2010年7月26日 (月)

カンボジア特別法廷の判決第1号

 カンボジア特別法廷は、7月26日10時により元S21政治犯収容所の所長であった、Kaing Gueg Eavことドゥック(Duch)被告に対して、35年の拘禁刑を言い渡した。

 本特別裁判所は、2003年に国連とカンボジア政府との協定によって、カンボジアのポルポト政権時代における大量虐殺、拷問、人道上の犯罪等を裁くために設置されたものである。カンボジア国内に設置された国際的性質を有する裁判所であり、混合刑事裁判所と呼ばれるタイプの法廷である。

 今回の判決は、ようやくたどり着いたかという印象である。カンボジアのPKO活動を通じて和平がもたらされたのが、1993年。さらにそれから本裁判所の設置に至るまでに要した時間も長かったが、そこからさらに最初の判決が下されるまでも多くの時間がかかった。クメール・ルージュの時代から見れば既に30年前もの年月を要した。

 その理由の一つは、カンボジア政府の消極姿勢である。現政府は、特別裁判所の活動が元ポルポト派の残党を刺激し、現政権に対する反発を招かないようにとの配慮があると言われている。どこまでそれが現実味のあることかどうかは、判明しない。
 
 今回の被告人は元収容所長であり、上層部からの命令を忠実に実行したことにより罪に問われたものである。より高位の責任者の処罰が課題であるが、他の4名の元ポルポト派指導部にいた被告人については審理が未だ開始されておらず、判決まで至ることができるのかどうか危ぶまれいる。ヌオン・チア(Nuon Chea)元人民代表会議議長、キューサンファン元議長(Khieu Samphan)、イエン・サリ(Ieng Sary)元副首相およびその妻であるイエン・シリト(Ieng Thirith)らの身柄が拘束されているが、既に死亡しているポルポト元首相に責任をなすりつけ、自らの責任を否定している。

 他方で、ポル・ポト派裁判には、重大な人権侵害行為の実行者と責任者の訴追、処罰だけではなく、真相の究明という課題も抱えている。カンボジアの民衆がポル・ポト派裁判に寄せる期待は、(私が直接見聞きした範囲でも)実は処罰ということとも相俟って真相究明にあるものと思われる。肉親、家族、親戚縁者、その他の近親者がなぜ殺されなければならなかったのか、いかなる理由で、どのようにして死んでいったのか、ということは十分には解明されていない。

 そのような事実の解明が行われなければ、多くの国民が裁判の結果に納得し、気持ちが癒されることはないであろう。裁判は、ジェノサイドによる悲惨を味会った多くのカンボジア国民に対する修復的司法の実践という意味を持っているのである。しかし、数人の被告人を起訴しただけでは、この国の将来にとって明るい未来は開けない。

 より、本裁判所の精神、すなわちより公平で開かれた社会の実現が行われてこそ、カンボジアにおけるポルポト派裁判の理念が活かされるであろう。 

http://www.eccc.gov.kh/

 

2010年3月 7日 (日)

英国ダンディ大学訪問

ヨーロッパ大陸の3か国の憲法裁判所等での共同研究のための調査を終えた後、3日にウィーンからロンドンに戻り、スコットランドまで行ってきました。

Sn3j0053

スコットランドのエジンバラよりやや北に位置するダンディー大学の法学部のM先生を訪ねて、犯罪人引渡と人権およびEUのヨーロッパ共通逮捕状枠組み決定の実施に伴う法的諸問題についての聞き取り調査を行ってきました。

M先生はまだ私よりもずいぶんと若い人ですが、丁重に迎えていただき、あらかじめ用意した質問事項に丁寧かつ熱心に応じていただきました。日本では、EU共通逮捕状の運用状況についての研究はまだあまり行われていませんが、導入以来数年の間に非常に活発な運用がなされいるようです。

ただし、各国の国内実施立法も様々なバリエーションがあるようであり、必ずしも統一的な運用がなされておらず、各国の立法の視点から引渡の拒否が行われたり、逆に共通逮捕状の請求が簡便にできるところから、日本語でいう「丸投げ」のような運用がなされているなど、種々の問題点があることも教示していただきました。日本に居ては、分からないことについていろいろな話をしていただき、この問題への研究を推進させるめのよい刺激となりました。

聞き取りの後、私に法学部のスタッフと大学院生を対象とするスピーチも行ってきました。日本における国際人権法の適用問題について英語でスピーチして、質疑にも応じるという内容です。ベルファーストのクィーンズ大学で行ったスピーチとほぼ同じ内容ですがちょっと長くなってしまったかもしれません。

その後は、M先生から夕食に誘っていただき、引き続き、研究テーマについて話をしたり、大学での研究環境についての意見交換などしつつ、今後もコンタクトを続ける約束してホテルに戻りました。

今回の訪問はほんのわずかな時間でした、充実した訪問になりました。

2009年8月 1日 (土)

嘉手納基地内法廷見学

1.7月30日(木)に米軍の嘉手納基地(第18航空団"18th Wing"という)を訪問して、基地内の裁判所の視察をしてきた。

2.我々は、琉球大学の法科大学院の教員と学生を中心として20数名で訪れた。基地のゲートで身分証のチェックを受けてから、基地内の法廷があるKADENA Law Centerと表示された建物に案内された。まずスタッフに挨拶に続いて、基地の概要についての説明を受けた。嘉手納基地は米空軍の最大規模の戦闘部隊である第18航空団を中心とする様々なテナント部隊(陸軍、海軍、海兵隊を含む)の本拠地として位置づけられている。

3. 配布された案内パンフレットによれば、基地の人員は総勢24,300人に上り(空軍の現役2009_0730_1_3 軍人が7000人、その家族が12000人、他軍(1000人)、軍属(1800人)、日本人従業員(3300人)、地元民間契約業者(約1000人)に達する規模であり、司令部のある横田基地よりも遙かに規模が大きく、実戦部隊である。つまりF15 戦闘機が54機、KC135Rストラトタンカー(空中給油機)15機、AWACS早期警戒機1~2機が配備されている。視察の当日も、今話題のF22戦闘機が12機も飛来していて、写真撮影は遠慮してくれとの話もあったぐらいである。(実は滑走路に駐機中の機体を垣間見ることはできた。)
 
4. 沖縄がいかに実戦に即した世界戦略上の要石であるかが、これらの装備によっても具体的に例証されている。

5. さて、米軍基地内の法廷見学に話しを戻す。基地内の法廷の規模は、小中学校の教室ぐらいのスペースに裁判官席、陪審員席、検察官席、弁護人席、証言台それに傍聴席などが配置されている。

6. 我々一行に対する説明のため、基地内の「法務官」(judge advocate)という法律専門官の方が5人出席された。トップの責任者は当日は不在であったが、それに代わる上級の法務官(中佐)が中心になって全体の説明を受け、個別の問題について刑事、民事、環境問題等の個別の領域ごとに担当法務官の方から説明を受けた。

7. 法廷は、基地が直面する様々な問題を扱っており、兵員の懲戒や刑事裁判だけでなく民事事件、労働事件、環境紛争等さまざまな事項について扱うとの事であった。

8. 彼ら法務官は、米国のロースクールの修了生であって弁護士資格を有している。周知の通り、米国の弁護士資格制度は各州ごとに異なるが、軍隊内では主に連邦法が適用されるので、いずれの州の弁護士資格を有する場合でも、連邦法に関連する法実務には携わることができるらしい。

9. 米国の弁護士資格者は100万人以上いるとのことであるが、米国の弁護士が様々な場面において活動する場が与えられていることを実感した。わが国の弁護士人口は、2万7千人でしかなくても、法科大学院を修了して難関の試験を突破した人でも就職難という壁があることを思うと、彼我の差を感ぜざるを得ない。

10. 個人的に関心のある問題は、基地の外で米軍兵士が行った犯罪に対する捜査権、裁判権の帰属の問題をどのように調整し交渉しているか、というような問題である。そのような在日米軍に関する地位協定の解釈、適用に関わるような問題については東京(横田基地にある第5空軍司令部のことか)が担当しているという答えてかわされてしまった。

11. 実は、7月31日の新聞で報じられたように、30日には、横浜地裁において横須賀基地を脱走した米兵によるタクシー強盗事件の判決が下された。被告人に対しては、求刑通り、無期懲役の判決が下された。この事件にもあるとおり、依然として基地の周辺自治体にとっては大きな問題である。新聞記事によれば、脱走兵の情報公開などの地元自治体から要求が出されているのに対して、米軍側はそれに応じていない。地元の沖縄タイムズではこの報を1面トップで扱っていたように基地周辺の自治体等の関心は高い(朝日の東京版では3面記事で小さく扱われていたにすぎない)。

12. やや横道にそれるが、兵士の脱走にも様々な理由があると考えられるので、事はそれほど単純でもないように思われる(かつて北朝鮮に渡ったという理由で、脱走兵として扱われたジェンキンス氏の話もある)。日本の警察当局は脱走兵の情報を得た上で、その身柄を拘束した場合には、米側にほいほいと引き渡せば済むのか?場合によっては米軍側に簡単には引き渡してよいかどうか疑問が生じる場合もあるだろう。そのような場合に、もし引渡してしまえば、軍法の下で犯罪者として扱われることになり、厳しく処断される恐れがあるともいえる。

13. いずれにしても、わが国の現状においても基地に関して様々の問題を抱えており、未解決の懸案が多々ある。

14. 以上、米軍嘉手納基地視察に関するまとまりのないレポートである。

 

2009年7月29日 (水)

沖縄より

 今日の夕方、沖縄の那覇空港に到着した。

 明日、琉球大学の法科大学院の企画として米軍の嘉手納基地内の軍事法廷を見学する機会を設けたのでそれに便乗して見学に参加させてもらうこととした。
 
 実は、米軍の軍事裁判所の役割については、いろいろ議論がある中で正直言って分からない点も多い。日本人にとっては、秘密のベールに覆われた法廷というイメージであろう。それだけに、米軍基地内の軍事裁判所の見学という機会はおそらく滅多にないことなので、それだけでも貴重である。
 
 Cimg1841わが国では、沖縄駐留米軍の兵士による犯罪が起きるたびに裁判管轄権をめぐって重大な問題を抱えているが、軍事裁判所が注目されるゆえんは、他にもある。特に、米国本国では、数年来、ブッシュ政権の下で行われてきたテロリスト容疑者の拘禁と軍事裁判の合法性を巡って大きな議論がある。 オバマ政権になってから、テロリスト容疑者の軍事法廷による裁判についても方針の転換がなされているとは聴くがその辺りの問題も興味あるところだ。  

 いずれにしても明日の見学を期待している。

2007年11月13日 (火)

犯罪人引渡に関するセミナーでのコメント

犯罪人引渡条約において考慮すべき若干の問題

-自国民不引渡原則と人権原則-

20071029

ブラジル大使館・東京

北村泰三/Yasuzo Kitamura

1.はじめに

 さて、ただいま紹介されたように、私は、国際法の専門家なので、国際法的観点から日本とブラジルとの間の犯罪人引渡条約締結に関する諸条件について私見を述べたい。

 本日は、時間の制約もあるので、特に2つの問題、すなわち第1に、自国民を引き渡すことが妥当かどうかという問題(自国民不引渡の原則/the principle of non-extradition of nationals)と、第2に引渡に際して考慮すべき人権原則について言及する。

2.伝統的犯罪人引渡条約の基本原理

(1)相互主義の原則

 伝統的な犯罪人引渡制度は、犯罪必罰の要請を実現するために「相互主義」(reciprocity)と「主権原理」(principle of State sovereignty)に基づいて行われてきた。すなわち、犯罪の防止と処罰という要請を実現するために、諸国は犯罪人引渡条を締結し、または条約がない場合には、司法的協力によって犯罪人の引渡を相互の間で行ってきたのである。ただし、条約がなければ引渡の義務はなく、引き渡すかどうかは任意の合意によって行われるにすぎない。

(2)主権原則と自国民不引渡

 このような伝統的犯罪人引渡法における主権原則の一つの表現が自国民不引渡の原則である。自国民を引き渡さない理由としてはいくつか指摘されている。すなわち、個人は、自国の裁判官による裁判を受ける権利があるとか、いずれの国家も外国の不公正な裁判から自国民を保護する権利がある、などと言われる。これらの個別の主張の背景的には、国家主権の原理が潜んでいる。

 自国民原則は、主としてヨーロッパ大陸諸国(states of European continent)によって堅持されてきたが、わが国もその影響を受けている。またブラジルも同様である。今後、わが国がブラジルとの間で引渡条約の締結をめざすに当たって、ブラジルが憲法(1988年)によって自国民の不引渡を定めているので、この原則をどのように扱うかの問題は重要であろう。

 この点、国連の「犯罪人引渡に関するモデル条約」(United Nations model treaty on extradition/これは実際の条約ではなく単なるモデルを示した文書である)では、自国民を引き渡すか引き渡さないかは、国家の法制度に従って任意に判断することが認められている。同様に、1957年のヨーロッパ犯罪人引渡条約(European Convention on Extradition6条、米州機構(Organization of American States)の犯罪人引渡条約7条でも、自国民を引き渡すかどうかは、各国の法律制度に従って任意とされている。

 他方、イギリス、アメリカなど属地主義(territorial principle)を伝統的に採用する国家の間では、原則的に犯罪行為地の国家が裁判管轄権を有するとの論理にたっているので、自国民であっても引き渡すこととしている。

 また、EU諸国間では、EU構成国の国民は、域内自由移動の原則が保障されており、その反面、犯罪者が容易に犯行地国から他の国逃亡できる状態が生まれたので、域内各国の間では、自国民であるか否かにかかわらず犯行地国からの引渡請求に対して応じることが原則とされている。

 ここで簡単にまとめておくと、自国民不引渡の原則は国際法上は確立しているとは言えず、あくまでも自国民を引き渡すがどうかは、関係国家の任意によって決められる問題である。自国民を引き渡さない理由としては、主権への固執と他国の司法への不信があると言える。したがって、法の支配、民主主義、公正な裁判等の法的価値を共有する国家の間では、自国民引渡も不可能ではないと考えられる。

 日本とブラジルとの間においては、自国民の不引渡原則は維持したまま、司法共助体制を整備することによって、わが国から逃亡したブラジル人に対してはブラジル刑法上の国外犯として処罰する方法(代理処罰)をとることが一見のところ実際的である。ただし、合理的に考えれば、犯行地国において起訴し、裁判を行う方法が証拠などの面で優れている。また、被害者または遺族の感情が不引渡を許さないかも知れない。したがって、引渡の具体的な条件を整備することによって、引渡を可能とする方法がより優れていると思われる。

3.今日の犯罪人引渡法における人権原則

 伝統的犯罪人引渡法は、国際社会の変容に応じて今日ではさらに変化しつつあるように思われる。すなわち、冷戦の終焉以来、人の移動の迅速化と自由化の傾向によって、犯罪もボーダーレス化しており、特に最近では、国際的組織犯罪(transnational organized crimes)の増加、さらには国際的なテロ事件の頻発によって、従来になく、犯罪人引渡に対する要請が高まっている。迅速かつ円滑な引渡手続が課題とされる一方で、同時に考慮されるべき問題も出てきている。それは、人権、人道上の問題である。

 伝統的な犯罪人引渡条約でも政治犯罪人の不引渡(non-extradition of political offenders)や引渡理由とされる犯罪以外では請求国において処罰されることはないという「特定主義」(principle of speciality)の原則もある意味で人権的考慮に基づいているといえる。

 今日の国際社会においては、各国は各種の人権条約を批准しており、犯罪人引渡条約においても遵守されるべき人権の基準が想定されている。例えば、死刑廃止国から存置国への犯人・容疑者の引渡は、許されないという判例がヨーロッパ人権条約(European Convention on Human Rights)の下であり、その基準は国際人権規約(International Covenant on Civil and Political Rights)においても同様とされている。日本は死刑存置国であり、他方でブラジルは死刑を廃止(abolish)している。したがって、仮に、日本とブラジルとの間の犯罪人引渡条約において自国民を引き渡すと定めたとしても、たとえば日本で殺人を犯してブラジルに逃亡した殺人事件の容疑者について、日本が引渡を要請した場合に、ブラジルは引渡を拒否するかまたは死刑の適用がないとの保証を条件とした場合にのみ引渡が可能となるであろう。

 国連モデル条約では、その他、人種、性、言語等による差別的な取扱いを受ける恐れがある場合にも引渡を拒否することができると定めている。わが国の逃亡犯罪人引渡法および日米犯罪人引渡条約では、類似の規定は存在しないが、こうした不引渡理由が国連モデル条約で取り入れられたのは、多様な国家間での犯罪人引渡が行われるようになるにつれて、この種の懸念が生じたからである。わが国には、外国人に対するそのような取扱いは全くないと言えるかどうか検討を要する問題であろう。例えば、弁護人との間の通信連絡面会における言語的問題の克服、法廷通訳や通訳費用の負担、外国人被告人である場合に限って、一審で無罪となった場合に再勾留が容認されるなどの問題がある。

4.おわりに

 犯罪にどのように対応するかという問題は、ただ単に犯罪人引渡条約の締結だけが問題なのではない。外国人による犯罪を防止するためには、より広く社会一般において、相互の国民に対して十分な尊敬の気持ちをもって共生社会を作り上げていくことが必要であろう。その点で、わが国はブラジルに学ぶべき点があるのではないかと思っている。簡単だが、以上の指摘によって本日の私のコメントを終える。

2007年3月 1日 (木)

国際刑事法プレ・シンポジウムに参加して

2月は、入試や原稿の仕事で忙しく、記事を更新出来ない状態が続いた。と、思っていたらもう、3月だとは!。

一昨日(2月27日)の夜、弁護士会館で国際刑事法セミナー・プレシンポジウムという催しが行われた。テーマは、「国際刑事裁判所規程への加入が日本の刑事司法を変える!?」というものだ。私もパネリストとして呼ばれ、発言をしてきた。

ちょうど、その日は、閣議で国際刑事裁判所(ICC)規程の批准承認案件を国会に提出することが了解されたというニュースと重なり、良いタイミングだった。国会審議を経て、国際刑事裁判所にわが国が加入することになるだろう。

しかし、国際刑事裁判所なんていうテーマは世の中の話題には今のところほとんど取り上げられていないないし、マスコミの取り上げ方も未だ少ない。そこで、国際刑事裁判所とは何なのか、国際刑事裁判所に加入すると日本は何か変わるのか、を考えるのがこのシンポジウムの目的だった、と思う。ただし、正直のところ、このプレシンポジウムのいう「日本の刑事司法を変える」という発想はややわかりにくかったかもしれないが。

当日の内容は、ICC規程へのドイツの国内対応に関するオステン氏(慶應義塾大・刑事法)の基調講演とパネルディスカッションだった。オステン氏の話は、示唆に富む内容だった。日本と同様に第二次世界大戦の結果敗戦国として連合国による勝者の裁きを受けた経験を有するドイツだが、ICC規程を批准するにあたって、実体法と手続法の双方で国内立法を行った。ICCの対象とする重大犯罪(ジェノサイド、非人道的行為、戦争法規違反)も国内法において罰則化している。わが国は、ICC規程を今回批准するにしても国内法としては、ICCへの犯罪人引渡手続に関する法を準備するだけのようだ。つまりドイツのような実体法を伴う法的対応は準備しない、ということだ。

当然、わが国の対応として手続規定だけで良いのかという疑問もある。日本国憲法上の立場(特に、交戦権の否定)並びに現行法の解釈で対応できるということであろうが、専門的な議論になるのでこの場では避けるが、今後問題にはなるだろう。

また、国際刑事裁判所規程に日本が加わるということは、国際社会(特にアジア諸国)に向けて、侵略戦争をしない、戦争犯罪人も決して出さないという立場を鮮明にするという意味も含むであろう。

戦後長らくの間、ドイツもニュルンベルク裁判アレルギーという症状が残っていたそうだ。国際刑事裁判という考えかたに対する懐疑的な見方だ。日本も同様に東京裁判アレルギーという症状がこれまであった。しかし、国際刑事裁判所規程の批准を期に、わが国もそろそろこのアレルギーから抜け出す時期だ。つまり、日本も外国からたたかれるのを恐れて何も言わないのではなく、非人道的行為、戦争犯罪に対する拒否の姿勢を貫き、国際社会においてこのような犯罪が繰り返されないように努力し、そのための貢献が求められていることを自覚するべきであろう。やや舌足らずかもしれないが、基本的にはそう考えている。

2007年1月29日 (月)

国際刑事法について

 今週末は原稿書きに費やした。「国際刑事裁判の軌跡と展望」と題する小論を、中央大学の通信教育部用が出している『白門』という雑誌に寄稿する予定である。26日が締切だが、週明けまでは許されると勝手に判断している。学術論文とは違って学生向けの内容ではあるが、書くなると事実確認等でどうしても調べる箇所も少なくない。ようやくまとまったところだ。

 ところでこの国際刑事裁判というテーマは、今年の研究テーマとしてずっと維持されるだろう。あたかも、1月26日の通常国会冒頭での麻生外務大臣の外交方針演説でも、今国会において国際刑事裁判所規程の批准案を提出する予定であることが表明された。国内法の制定などでいかにして裁判所規程の内容を実質的に担保するのかが課題となっているが、国内法の内容が現段階では伝わってこないのが、研究上、はがゆいところだ。

 また、国連では昨年末、12月20日に「強制的失踪からのあらゆる人の保護に関する条約」が採択されたことも国際刑事法の新たな進展である。これは、新聞紙上などでは拉致禁止条約と呼ばれているものである。強制的失踪、enforced disappearanceは、過去にもアルゼンチンやチリの軍事政権の時代に大きな人権侵害として取り上げられてきた。米州機構(OAS)では、1994年に禁止条約(INTER-AMERICAN CONVENTION ON THE FORCED DISAPPEARANCE OF PERSONS)が採択されていたが、今回は国連で採択された。

 国連の条約は、拉致の犯罪化、防止だけでなく被害者保護を謳っている点でより進んだ条項を備えていると思われる。特に我が国では、北朝鮮による拉致事件があるので、この種の条約にしては一般の関心も高いようである。ただし、国連で採択された理由は、北朝鮮ばかりでなく、残念ながら世界各地でまだこの種の拉致、誘拐、強制的失踪の例が後を絶たないからである。
 

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

カンボジア・集団殺害(ジェノサイド)博物館(Genocide Museum)

  • 供養塔
    カンボジア、プノンペンのジェノサイド博物館の写真  1975年~1979年にかけてカンボジアを支配していたクメール・ルージュ(赤いクメール)政権の下では、現代史上にもまれなジェノサイドが行われ、約170万人の犠牲者を出したと言われている。人道に対する罪を犯した虐殺の責任者を処罰するために、国連とカンボジア司法当局との共同により設置された特別法廷において裁判がようやく開始された。  この裁判では、ポルポト政権の責任者が訴追されようとしている。国際人権・人道法の実施が、果たして確保されるのかどうか、この裁判の行方に注目していきたい。  この博物館は、当時、多数の政治犯等を捕らえ、拷問の上、殺害を実行した場所である。決して物見遊山で訪れるような場所ではない。しかし、かつての忌まわしい行為の実態を知ることにより、人間の愚かさを顧みる意味はあるだろう。 ※一部に凄惨な写真があります。ご留意ください。

ウェブページ