2012年度国際法ゼミ

  • ゼミ一同全員集合
    本年度のゼミをフォトアルバムで紹介していきます。

2011年度国際法ゼミ

  • 卒業式の日に(2012年3月25日)
    東日本大震災の直後の2011年4月から緊張した状態で始まったゼミでしたが、進むにつれて打ち解けていきました。最終的なゼミ論の完成まで頑張りました。

2010年度国際法ゼミ

  • 2010年ゼミ卒業記念アルバム写真
    2010年度の法学部国際法専門ゼミのアルバムです。 3,4年合同なので、人数は30人になります。これまでのゼミで最も大人数となりました。

2009年度法学部国際法ゼミ

  • 記念撮影
    共通テーマ「国際人権・人道秩序の再構築」

2008年度国際法ゼミ

  • 北村ゼミ全員集合
    2008年度中央大学法学部国際法ゼミの紹介 「国際人権・人道秩序の再構築をめざして」

2007年度国際法ゼミ

  • クリスマスの季節・忘年会後
    国際法ゼミ(2007年度)の紹介アルバムです。

2006年度国際法ゼミ

  • 2006年度のゼミ生集合写真(2)
    2006年度国際法ゼミのアルバムです。

熊本紀行

  • ライトアップに照らし出される熊本城
    2009年9月14日から19日まで、熊本大学法学部にて集中講義(国際人権論)を行いました。 2011年1月21日、22日に所用のため熊本大学を訪れました。

国際人権問題

2013年6月25日 (火)

ストラスブールでの拘禁問題に関するセミナー

1619日の朝945分発のルフトハンザ航空,フランクフルト行きの便にて成田を発って,同日の夕刻8時にフランスのストラスブール駅前に到着した。

 

2.翌,620日,21日の2日にわたって,当地において拘禁問題に関するセミナーに参加した。英国,ノッチンガム大学のデレク・ヴァン・ズィル・シュミット教授の基調報告に始まり,ヨーロッパ人権裁判所のデ・グアテノ判事の講演,さらにNGO,イギリス,フランス,ポーランドなどのヨーロッパ各国の刑事専門弁護士,ドイツの裁判官などの実務家の報告が続き,様々な視点から議論がなされた。

 

3.拘禁問題は,ヨーロッパ諸国の間では,ヨーロッパ逮捕状の制度が2002年に制定されて以後,国境を越えて,被疑者,被告人の拘禁が行われるようになった。

 

4たとえば,イギリス人のX氏がポルトガルに滞在中の犯罪行為(たとえば,窃盗や詐欺など比較的に起こりうる事件)を理由に,イギリス帰国後にポルトガル当局により発給された逮捕状により,自国民の身柄の引き渡しを請求されるような事件が日常的に起こるようになった。この場合,英国当局は,Xの身柄を確保して,ポルトガルを引き渡す義務を負うことになる。

 

5.こうした事案が多発すれば,いずれの国も自国民である被疑者,被告人が他国において刑事裁判手続き上の諸権利を全うに保障されるかどうかについて,無関心ではいられなくなる。もちろん,自国民を保護することだけが目的ではなく,国境にかかわらず,ヨーロッパにおける刑事手続き上の諸権利の保障が目的ではあるが。

 

6.具体的には,通訳の確保,被疑者の処遇,勾留施設の環境,長期にわたる起訴前勾留期間の問題,被疑者・被告人が弁護士の援助を受ける権利,量刑の均衡性の問題等,問題は山積している。

 

7.このような問題を背景に,現在,EUを中心にして,被疑者,被告人の刑事手続き上の諸権利に関する共通の基準を打ち立てようとしている。具体的には,刑事司法分野における「指令」(directives)の採択がすでに部分的に行われて,さらにより多くの問題に関する指令の採択が課題となっている。

 

8.これまで,EU諸国は,刑事手続問題や被拘禁者の人権問題には,取り組みが行われていなかったが,2009年末のリスボン条約の発効以後,急速にこの分野での動きが活発化している。犯罪は国境を越えて行われるというだけでなく,自由に国境を越えて人が移動するようになれば,刑事手続き上の諸権利の確保も,当然に国境を越えた関心の対象となる,ということになるのだろう。

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(上掲写真は,ライトアップに映えるストラスブールの大聖堂)

2012年5月 5日 (土)

CIAによるレンディション事件をヨーロッパ人権裁判所が審理

1.レンディションとは

 レンディションと(rendition)いう言葉を知っている人はそう多くはないだろう。エクストラオーディナリー・レンディション(extraordinary rendition)という言葉もある。私は「特別送致」などと意訳している。米国のCIAがテロリスト容疑者を逮捕状なく密かに拉致、監禁して、拷問、暴行の上、いずことも知れない外国に移送して裁判にかけることもなく長期間被疑者を拘束した上、闇にかくれて処理する。

 本来、テロ犯罪の容疑者であれば、正式な逮捕状を用意して身柄を逮捕し、なおかつ国外への引渡しが必要であれば、きちんとした手続をとる必要がある。しかし、この「特別送致」では、「対テロ戦争」の名の下で法の適正手続きなどは何の意味も持たない。そんな無法な人権蹂躙が行われていたとしたら、いくら何でもひどすぎる話である。

 また、仮に、このような目にあった被害者が無事に生還した後に、裁判で加害者の違法性を訴えようとしても、強大な組織と権力を相手として不利で困難な闘いになるであろうことは想像できる。

 
 そのような事件の一が、ストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所(European Court of Human Rights)に繋属中である。この事件について、5月16日に人権裁判所の大法廷において公開の聴聞審理が行われる予定だそうだ。※1

2.マケドニアで逮捕と拘禁

 原告は、レバノン系のドイツ人であるエル・マスリ(Khaled EL-Masri)氏。申立人のおよその話では、事実の展開は以下のようである。

 同氏が2003年12月31日にバスでバルカンの小国・マケドニアに入国しようとしたところ、正規のパスポートを所持していたにもかかわらず、マケドニアの警察によってテロリストと疑われ、身柄を拘束された。その後、首都スコピエ市内のホテルに23日間、監禁され尋問をされた。

3 アフガニスタンへの送致とCIAによる尋問

 身に覚えのない容疑を突然かけられ、不当な取扱いを受けたあげく、マケドニア警察当局から米国のCIAに引き渡され、目隠し、手錠をされ、さらに足枷までされて特別の飛行機便でアフガニスタンに連行された。その後、カブール市内のCIAの秘密拘禁施設に収容され、さらに尋問と虐待を受けた。後日解ったことだが、氏の名前がテロリストとして指名手配中の人物と似ていたというそれだけのことによって、あらぬ容疑をかけられたらしい。

 氏は、抗議のためにハンガーストライキを実行したが釈放が認められず、結局、2004年の5月まで逮捕状もなく拘禁されたあげく、裁判を受けることなしに長期間、狭く不潔な部屋に監禁され、暴行、虐待を受けた。2004年3月に抗議のためにハンストを行ったときにはチューブによる食事を強制され、様態が悪化した。その後はベッドに伏せた状態になったが、5月に2回目のハンストに入ったところ、目隠しに手錠をされたまま飛行機に乗せられた、アルバニア経由して、ドイツのフランクフルト国際空港に連れ戻された。釈放時には、半年前の出国時に比べて体重が18キロも減っていたそうだ。

4 マケドニア当局の話

 マケドニア当局は、氏は入国の際に偽造旅券を持っていた容疑により取り調べを受けた後に、釈放され、コソボへと出国したと主張しているようである。

5 人権条約との関連

 以上のような一連の事実に関してエル・マスリ氏は、マケドニア当局による不当な逮捕、恣意的拘禁及び十分な調査の実施拒否などは、人権条約の第3条(拷問、残虐な又は非人道的取り扱いの禁止)、第5条(恣意的逮捕拘禁の禁止)、第8条(プライバシー、家庭生活の尊重)などに違反している主張している。

6 人権裁判所の役割

 人権裁判所が小法廷から大法廷に本件の審理を移管したこと自体が、この問題の重要性を暗示している。マケドニアはヨーロッパ人権条約の締約国であるから人権条約上の義務を負い、また人権裁判所はマケドニアに対する訴えを審理する権限はあるし、マケドニアが人権条約に違反したかどどうかが問われている。マケドニア当局は、少なくとも本事件について調査を行い、容疑者を捜査しその責任を追及する義務があるだろうし、その点で義務違反が問われる可能性がある。また、CIAに引渡した結果、どのようなことが予想されるかマケドニア当局が知っていたとすれば、その点についての責任も問題となるだろう。

 したがって、この裁判は、米国CIAによるレンディション自体が国際法及び人権条約違反であるかどうかどうかを明らかにするものではない。しかし、マケドニアと米国はいわば一蓮托生の関係にあると思われるので、間接的には米国のレンディションの合法性も問われているとえいよう。ただし、米国はヨーロッパ人権条約の締約国ではないために米国政府を相手とする訴訟をヨーロッパ人権裁判所で提起することはできない。そこでいわば、米国の手先となって動いただけの、マケドニアという小国を相手とする訴訟なのだが、それでも人権裁判所がこの問題についてどう判断を下すかは米国の関与とその責任の一端を白日の下にさらすという点で重要である。

 強大な権力を相手として個人が訴えを起こしても、証拠等の収集では非常な困難がある。しかし、該当日時の飛行機の管制記録などの客観的な証拠がないわけではないだろう。今後予定される判決でマケドニアの人権条約違反が認定されることになれば、米国当局の活動の違法性とそれに対する責任を間接的に肯定することになる。今の段階では、判決を予測することはできないが、人権裁判所が、ヨーロッパ諸国だけでなく、国際社会全体における人権と法の支配を擁護する砦として、どのような役割を果たすかが注目されるだろう

7 関連記事

なお、以上とは別に、エル・マスリ氏の事件は、米国自由人権協会の弁護士らによって米国の裁判所でもCIA長官らを相手とする訴訟が提起されたが、国家機密に関する内容であるとして、棄却されている。

  以上の典拠(ソース)については、ヨーロッパ人権裁判所の2012年4月26日付けのPress Releaseを参照。

また、Open Society Foundationのホームページでも概要を知ることができる。

http://www.soros.org/initiatives/justice/litigation/macedonia

※1 人権裁判所の大法廷は17人の裁判官によって構成される。人権裁判所の審理は通常は、7人の裁判官によって構成される小法廷で審理されるが、条約解釈に影響を与える重要な事件である場合には、小法廷は大法廷に管轄を移管することができる(ヨーロッパ人権条約第30条)

2011年8月 9日 (火)

EUのヨーロッパ人権条約への加入協議が進展

1.ヨーロッパ連合(EU)のリスボン条約では、EUがヨーロッパ人権条約(ECHR)に加入することを予定していた(EU条約6条2項)。リスボン条約が、2009年12月1日に発効して以来、EUのECHRへの加入が実務レベルでの協議の対象となってきた。先月には協議は大詰めを迎え、EUのECHRへの加入に関する協定書案が公表された。

2.EUがECHRに加入するには幾つかの壁があった。ECHRは、ヨーロッパ評議会(EUとは別物のヨーロッパ諸国間の地域的機構でロシアやトルコも含む47か国によって構成される)の「加盟国」間の条約である。EUは、国家ではないから「加盟国」ではなく、またヨーロッパ評議会の加盟国でもない。したがって、EUがECHRシステムに加わるには、ECHRの枠組の変更を必要としていた。そのためには、補足的な解釈条項、ヨーロッパ人権裁判所の手続の調整、EU構成国の法秩序とEU自体の法秩序の相互関係、その他の技術的な事項などについての見直しが検討されてきた。EUと人権条約締約国との間の加入協定を締結するための協議が進められてきた。

3.協定案には、次のような諸点が含まれている。

・人権条約及びその議定書へのEUの加入によってEUは、その機構、機関、部局又はそれらのために行為する人の行為、不作為に対してのみ責任を負うこと。

・人権条約中の「国」または「締約国」という文言は、EUについても該当するものとみなされる。

・「国の安全」、「国内法」、「国の当局」などの表現は、必要な変更を加えてEUにも適用される。

・人権条約の留保に関する規定(57条)は、EUについても適用されるように改正される。
・EUに対する申立事件において、他の国家ともにEUが共同被告となる場合についての規定が設けられる。(3条)

・国家間の事件(Inter-State cases)は、当事者間の事件(Inter-Party cases)と名称が変更される。(4条)

・EU裁判所の手続は、人権条約35条2項(2)及び55条にいう他の国際的調査若しくは解決の手続としてはみなされないこと。(5条)

・人権裁判所の裁判官の選挙を行うヨーロッパ評議会の議員総会においては、EU議会の代表が出席して投票する権利を有する。(6条)

4.これらの条件はEUがECHRに加入するための最小限の要件を定めたものである。EUの側として、EU裁判所と人権裁判所との間の種々の問題などはカバーされていない。例えば、実体法との関係では、EU法の秩序の下で人権条約はどのような法的地位を有するのか。EU裁判所の手続において、人権条約違反の申立を直接受理し、審理することができるのか。また、手続面では、EU裁判所の手続は、人権裁判所との関係においては国内的な救済手段と同列になると思われる。では、どのような場合に、EUの救済手続が尽くされたといえるのか。人権裁判所においてEU法の一部が人権条約に違反すると判示された場合、EUはこれにどのように応じるのか。人権裁判所の判決は、EU法秩序の下でどのような性格を有するのか。これらの問題はEUの側の問題として詰める必要があると思われる。

以上については、詳しくは次の資料を参照。

― 8th Woking meeting of the CDDH informal working group on the accession of the European Union to the European Convention on Human Rights (CDDH-UE) with the European Commission, Draft legal instrument on the Accession of the European Union tothe European Convention on Human Rights, Strasbourg, 19 July 2011.

2011年8月 1日 (月)

ヨーロッパ人権裁判所の長官にニコラス・ブラツァ判事を選出

1.さる7月上旬に、ヨーロッパ人権裁判所の長官に英国選出のニコラス・ブラツァ(Nicolas Bratza)裁判官が選出されたとのことである。現在のフランス選出のコスタ長官が11月に任期が満了になった後に、ブラツァ長官が誕生する運びになる。ブラッア裁判官は、法廷弁護士(Barrister)出身の裁判官で1998年に人権裁判所の裁判官に就任している。2007年以降は、副長官を務めている。

P10100132.ヨーロッパ人権裁判所は、締約国と同数(47人)の裁判官によって構成される。裁判官は、各締約国から指名された候補者のなかからヨーロッパ評議会の議員総会の選挙によって選ばれる。任期は9年、70歳で定年となる。

3.英国からは、マックネア長官(1959~1965年)、ウォルドック長官(1971~1974年)と過去に2人の長官を人排出している。2人とも蒼々たる国際法学界の重鎮である。それ以来、久方ぶりに英国人判事の長官が誕生することになる。

4.ヨーロッパ人権裁判所の当面の大きな課題は、EUのヨーロッパ人権条約への加入を実現することであろう。これはEUの課題といった方が良いかも知れないが、人権裁判所の側にとっても重要な案件であろう。もっとも、EUの加入問題の検討は順調に進んできているので、コスタ現長官が11月に退官するまでには加入協定の締結が実現するかもしれない。また、累積する膨大な付託事案の円滑な処理という困難な課題も抱えている。

5.また、英国人裁判官としては、とくに受刑者に対する選挙権をはく奪している英国法が人権条約違反であるとの人権裁判所の判決に対して、英国議会からの異論を前にして、微妙な対応が求められるであろう。

P10100266.ヨーロッパ人権裁判所は、私を含む日本人研究者に対しても良好な対応をしていただいている。例えば、ヨーロッパ人権裁判所の判例に関する科研費共同研究のための調査のために、人権裁判所を何度か訪れたことがある。特に、ビルトハーバー長官の時代には、長官を含む数人の判事とストラスブールのレストランで会食を行ったことも想い起こされる。その成果は、2008年に刊行された「ヨーロッパ人権裁判所の判例」(信山社)に結実している。

http://www.bbc.co.uk/news/uk-14028602

[写真の説明] 写真上は、ヨーロッパ人権裁判所の建物。ストラスブール市内。

写真下は、ストラスブールのプティ・フランス地区。

2011年1月31日 (月)

イギリス政府、受刑者に選挙権を与える法案を準備中

 刑務所で服役中の受刑者にも選挙権を付与する法案提出をめぐって英国の政治情勢が揺れていることをご存知でしょうか。

 わが国でもそうなのですが、罪を犯した結果、有罪の宣告を受けて服役中の受刑者には地方選挙、国政選挙にかかわらず選挙権がありません。我が国では、公職選挙法の第11条によって「禁固以上の刑に服している者」は選挙権を持たないと定められているからです。

 一見のところ、受刑者が選挙権を行使することはできないというのは、特に問題がないといいうか、あたり前のようでもあります。つまり、「法を犯した者は、法を作る者を選ぶ権利をはく奪されても仕方ない」と思われるかもしれません。犯罪によって有罪とされた人は、法を作る過程に参加することが認められたら、犯罪者に有利な法ができてしまうかも知れません。しかし、実際には刑務所に収容されている人の数は、圧倒的に少数なのでそういう心配はないようです。

 では、受刑者には選挙権が認められないというのは、一見のところ常識のようなのですが、必ずしもそうではありません。ヨーロッパ諸国では、ドイツ、スウェーデン、オランダ、スイス、デンマークなどの18か国では、受刑者も無条件で選挙権が認められてるそうです

 また、刑期の長短などの一定の条件を付けて受刑者に選挙権を認めている国もあります。イタリア、マルタ、ポーランド、ギリシアなどの13か国です。

 イギリス、チェコ、ブルガリア、アルメニア、ロシアなどでは、受刑者には一切選挙権が認められていません。

 このようにヨーロッパでも各国の対応は一様ではありませんが、何らかの形で受刑者も選挙権を認めている国が多数派であることは間違いありません。かつて、受刑者に選挙権を認めていなかったアイルランドでは、最近、法律を変えて受刑者にも選挙権を認めるようになりました。

 ではなぜ、英国は今回、受刑者に選挙権を認める法案を審議しようとしているのでしょうか。それは、ヨーロッパ人権裁判所の判決によって、受刑者に選挙権を認めていないイギリスの法律がヨーロッパ人権条約に違反するという判決が下されたからです

 その判決は、イギリスの刑務所に服役中のハーストさんという受刑者が選挙権を行使できないのは、自由選挙を認めたヨーロッパ人権条約の規定に違反するとして訴えた結果、2004年(小法廷)と2005年(大法廷)によって下されたものです(Hirst v UK事件)。

 ヨーロッパ人権裁判所は、個人からの請求を直接受理して審査して、その結果、国家の側に人権条約違反があるかどうかを決定することができます。その判決は、国家に対して法的拘束力がありますので、ある国の法律が人権条約に違反していると判断されれば、その法律を変えなければなりません。

 昨年の時点で、判決が下されてから5年も経っていますのに、イギリス政府は、上記の判決を履行していませんでした。そこで、人権裁判所は、昨年11月23日に、改めて別の人からの同様の訴えを審理して、イギリスに対してもう一度、判決の履行しなさいという内容の判決が下されました。そして今度は、6ヶ月以内に法律を改正する案を国会に出しなさいと言いました。

 このような訳で、今、イギリス政府は、ヨーロッパ人権裁判所の判決に従うために、受刑者に選挙権を認める法案を提出する準備をしているのです。ところが、イギリス国民世論や与野党の政治家の中にも受刑者に選挙権を認めることに対する反対論や消極論が少なくありません。とくに最近のイギリスはテロ犯罪などの取り締まりが厳しく、受刑者=犯罪者の権利を拡張することには根強い警戒論があるのです。

 しかし、すべての受刑者に選挙権を認めなければならないということではありません。罪の重さ、犯罪の性質、刑期の長短などにより、一定の線をもうけることは認められるでしょう。そこで、刑期を4年で区切るか1年とするかでまた議論が紛糾しているようです。

 受刑者に選挙権を認めるということは、受刑者も私たちと同じ社会の一員であることを認めるということです。確かに、刑務所というのは閉ざされた世界ですが、私たちの社会の一部であることに変わりありません。たとえば、刑務所で受刑者によって作られた製品を、私たちも知らずに買ったり使ったりしているはずです。私たちも、知らずと受刑者の刑務作業の恩恵にあずかっているのかもしれません。

 10年とか無期刑とかいう、よほどの重い刑を宣告されて刑務所暮らしが長い人でも、刑期満了の近くに選挙があったら、やはり選挙権を認められてもいいと個人的には思うのですが、そこまではどうかと思う人も多いでしょうね。

 いずれにしても、イギリスでは受刑者に選挙権付与する法案が、近いうちに国会で審議されて可決されるはずです。そうしませんと、イギリスがヨーロッパから絶縁されてしまうかもしれません。そのようなことには、きっとならないでしょうが。

 わが国でも昨年末に元受刑者の方が刑務所に収容されていた時に選挙権を行使することができなかったことは憲法で保障されている権利を侵害されたとして裁判を起こしています。我が国が批准している自由権規約でも同様に選挙権についも規定していますので、この問題をめぐる国際的な動きは、我が国にとっても無縁ではありません。

参考BBC放送の記事:http://www.bbc.co.uk/news/uk-11674014

2010年12月19日 (日)

韓国人の英語熱(インチョンにて、続き)

今回の会議におけるその他の印象としては、韓国では英語の社会的な比重が日本に比べて高いと実感した。今回の研究発表でも米国の大学に留学してPhdをとって帰国した若手研究者、特に女性の研究者の勢いがあるとの印象であった。内容的には、米国流のジェンダー法学の亜流ではあったとしも、韓国で今後、こうした女性の若手研究者が地位を得てくる予感がした。男性研究者でも、米国帰りが幅をきかせ、日本に留学して研究してきた今の40代、50代あたりが、このままでは米国留学派に圧倒される時期が来るだろう。

こうしてみると、韓国から日本に留学して学んだ知日派の研究者を育てることが、日韓の相互の関係にとっても非常に重要であることを強く認識する必要がある。

ところが、韓国の法科大学院では、授業の3分の1を英語で行うそうである。町中の表示も繁華街では横文字が幅をきかせ、インチョンの地下鉄駅では英語の駅名がつけられている。極端な話し、まるでこのままでは、韓国人はハングルを忘れ、やがて英語を国語にしてしまうのかとも思えなくない。

P1000685 韓国人が英語の習得に躍起となっているのは、1997年の財政破綻とIFMによる金融支援があると思われる。とにかく、国際化への対応が韓国経済の成長戦略の至上命題とされたこの時期より、韓国は米国従属とアジア進出を進めて来た。

このように、韓国の人々は、英語能力の習得が何よりも国家の繁栄と存亡、さらには個人の社会的地位向上の前提と考えるようになったようだ。こうした状況下で、知日派を育てるというのは、これまでよりも難しくなっている。

しかし、日本の大学が留学生教育に力を入れなかったら、日本で学ぼうとする学生でも来なくなる。韓国だけではなく、中国およびその他のアジア諸国からの留学生の受け入れについても同様である。アジア各国との協調のためにも、アジアからの留学生の受け入れはますます求められていると実感する。

また、当然ながら、留学生が日本で学ぶ意義を実感できるような「実」のある国でなければならない。これは、いうは易し行うは難しではある。日本の学術的な水準が問われているとも言える。

さて、会議の翌日(18日)は、板門店など南北中立地帯(Korean Demilitarized Zone/DMZ)の見学ツアー(平和ツアー)が予定されていた。しかし、韓国側の軍事演習が続いているために、中立地帯の立ち入りは禁止されたためにツアーは中止となった。それに代えて、ソウル市内の景福宮(キョンボックン)、民族博物館、仁寺洞(インサドン)、戦争博物館などを見学し、その後、コリアンハウスにて韓国の伝統舞踊、伽耶琴(カヤグム)、パンソリなどの古典芸能を鑑賞する機会を得た。

写真は、景福宮の光化門付近を行進する衛兵の交代式。

「韓半島(朝鮮半島)における平和レジームに関する法的諸問題」

P1000653_21.会議のテーマ

インチョンの仁荷大学法学研究所主催の国際会議は、12月17日に予定どおり終えた。いろいろな意味において有意義な会議であった。

テーマは「韓半島における平和レジームに関する法的諸問題」である。会議は全体会議と2つのセッションに分かれていたのですべてを聞いた訳ではない。先月末以来の軍事的緊張の中で、日本では朝鮮半島の軍事的緊張が高まる中で強硬論も国民的な支持を集めているとの報道があるが、会議の基調としては、外交交渉と平和的方法による解決しかあり得ないというコンセンサスを確認する形で会議を終えた。

2.朝鮮半島の平和と非核化の条件

平和的解決といっても、軍事的な挑発を繰り返し、開き直っている北朝鮮に対してどのような平和的対応かという指摘もある。しかし、それでは軍事的解決が可能かどうか今一度冷静になって考えてみれば分かることである。

会議における論点の一つは、朝鮮半島における非核化問題である。非核化は「北」だけでなく、「南」も含めて非核化地帯とする案がある。世界の各地ですでに非核化地帯条約例がある。これを現実化することが、どれだけ困難であるかは、想像に難くない。しかし、確固たる朝鮮半島の平和レジームを構築するためには、国際的保障体制の導入など、各国の応分の責任分担が求められるであろう。

わが国は、非核3原則を踏襲してきた。朝鮮半島の非核化は、わが国の外交政策の基本方針とも一致し、大変好ましいはずである。

3.平和的解決

わが国では、北朝鮮によるヨンピョン島砲撃事件以後、韓国内では対北朝鮮強硬論が広く支持されているように報道されている。しかし、うわべではそのように言っても、韓国市民の本音では軍事力による解決を期待している訳ではない、のではないかと思われる。

太平洋戦争における慰安婦問題にしても、女性が犠牲となった(但し、会議の発言を聴く限り、韓国ではこの問題に対する日本側の対応を評価する見方が定着しているとの印象を得た)。また、一般市民、特に、女性や子どもなどの多くの弱者が犠牲になることは、1950年から3年間続いた朝鮮動乱で経験したことである。その後の、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争など、アジアおよび中東の各地で起きた戦争でも犠牲者の数は、常に軍人よりも一般市民の方が多い。

このこと一事をもってしても、朝鮮半島の問題を軍事的な方法により解決しようとすることは、誤りであることが会議では確認されたといえよう。

私自身の報告は、東北アジア地域における信頼醸成措置の構築が必要であること、そのためには共通の歴史認識と地域における外国人の人権保障体制の確立が必要であるとの視点を提起したものである。相互の信頼醸成のためにも、歴史認識と多文化主義的な社会を形成することが求められているとの視点から問題提起をした。

ある意味、緊張下にある韓国においては、このような主張は顧みられるのだろうかと危惧していたが、ディスカッサントの論点指摘も的を射たものであった。時間が足らずに、議論する時間が余り持てなかったのが惜しかった。

4.会議の終了

会議終了の後にはインチョン市内の会場で懇親会が行われた。乾杯の際に、いきなり指名されて、どっきりした。その後も乾杯は何度も続き、韓国的な、ホスピタリティ文化の中での懇親会が盛り上がっていった。

2010年6月15日 (火)

英国1998年人権法の行方

 やや旧聞であるが、英国では、去る5月6日の総選挙によって政権交代が行われた。ブラウン首相率いる労働党内閣が倒れ、キャメロン党首を擁した保守党が307議席を占め第1党に返り咲いた。だが、結局下院の過半数には至らず、保守党と自由民主党(57議席)との連立政権が誕生した。

 総選挙における争点の一つは、移民問題であった。保守党は、移民の受入数を制限し、彼らの権利の保護に手厚い「1998年人権法(Human Rights Act 1998)をスクラップにして、英国人権章典に代替しよう」(The Human Rights Act should be scrapped and replaced by a British Bill of Rights)などと提案していた。

 1998年人権法は、「ヨーロッパ人権条約」の実体規定をほぼそのまま英国法の体系に受容する法典である。従前は、人権条約の規定に対応する包括的な現代的な制定法を欠いていたことが人権条約の国内適用上、種々の不都合を生むために、かねてからその制定が求められていたものである。英国法制度の改革の中でも最も重要なものであろう。

 しかし、近年では人権法に対する種々の批判や不満が英国保守層の中で鬱積している。特に、2005年7月7日のロンドンのバスや地下鉄を狙った爆弾テロ事件の容疑者が、イスラム教徒の移民であったために、移民社会に対する風当たりが強くなった。さらに、移民の権利を優遇する法律に対する不満が鬱積し、それはブラウン労働党政権に向けられたといえよう。

 さらには、新たなテロの恐れに苦慮している英国社会では強硬な主張も現れている。そうした主張のきっかけとして、2009年の4月にリバプールとマンチェスターに居住する11人のパキスタン人青年を警察がテロの未遂容疑で逮捕した事件がある。警察の極秘の捜査により、彼らが、暗号を使った電子メールによりパキスタン在住のアルカイダの一味と連絡を取っていたことなどから、警察は彼らがイングランド北西部を標的とする爆弾テロを同年4月中旬に企図していたものと踏んで、未然の逮捕に踏み切った。

 しかし、その後の警察による懸命の捜査にもかかわらず、爆発物はおろか他の有力な物証も発見されなかったため、全員が不起訴となった。ただし、彼らは、入国管理法上の危険人物として、本国送還の手続のために再び身柄を拘束された。

 そこで入管法違反を理由として、本国に追放(deport)することの是非を巡って特別移民控訴委員会(Special Immigration Appeals Commission/Siac)において審理が行われ、同委員会は、今年の5月18日の判決によって警察の逮捕容疑については認める判断を示した。しかし、追放した場合に、パキスタン国内で受けるかもしれない虐待を防止する方法がないので、追放はできないとも述べた。

 こうした判断は、拷問又は非人道的な取扱い又は刑罰を受ける恐れのある場所への追放、引渡し等を禁止するヨーロッパ人権裁判所の判例を踏襲したものである。彼らをパキスタンに追放するならば、1998年人権法に反することになり、さらにはヨーロッパ人権裁判所に事件が係属するならば人権条約違反のそしりを免れないであろう。追放に代えて厳重な監視(Contol order)の下に置く方法がとられている。

 この例のように、保守党支持者の中では、1998年人権法がテロリストや犯罪者の権利を擁護するシステムとなっているという主張が支持されている。また、保守党政権は、社会にとって危険なテロリスト容疑者を監視下に置くことを合法化するよう求めている。

 他方で、人権平等委員会のトレバー・フィリップ(Trevor Phillip)委員長など人権法の擁護派は、「この国がパニックに陥って、人権の法的保護を弱体化させるようなことになれば、彼らの勝利をなによりも如実に意味することになる。」(Nothing could more fully represent their triumph than this country being panicked into weakening its legal protection for human rights.) 。また、「人権法をスクラップにしてしまうならば、アルカイダとその一味の思う壺だ」(Scrapping the Human Rights Act is precisely what Al-Qaeda and their ilk want.)などとも批判している。
 
 結局、目下の連立政権の下では、自民党が人権法を早急に代替させる案には批判的であるために、現政権の下に委員会を作って、人権法を検討する委員会を作って協議することとなった。これにより、人権法は少なくとも当面は命脈を保てることになった。英国社会は、テロによる脅威の克服と人権擁護体制の維持・確立という二つの課題をどのように調和させていくのかという課題に直面している。人権法を改正せよという案は、反ヨーロッパ的なスローガンとして良識ある専門家の間ではほとんど支持されていない。したがって、1998年人権法が早急に改正されることはないと思われる。しかし、予断を許さない状況が続くであろう。

[関連記事へのリンク]

http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/guest_contributors/article7134148.ece

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article7134056.ece

http://business.timesonline.co.uk/tol/business/law/article7104218.ece

2010年5月27日 (木)

イスラム文化とブルカ、ニカブの規制

1. ブルカやニカブと呼ばれるイスラム教徒の女性が顔全体を覆うベールを公の場において禁止する法案がヨーロッパ諸国で問題となっている。ベルギーでは、429日には、ブルカ規制法が下院を通過して上院の承認を得て、可決される見通しである。

 

2.フランスでも519日には、サルコジ政権の下でブルカ規制法案を準備して、国会に提案する方針であると伝えられている。

 

3. 英国BBC放送のWeb記事によれば、ベルギーでは約50万人のイスラム系住民の中でブルカを日常的に着用しているのは、たったの30人ばかりだというが、規制法案の提案理由は主として2つである。第1は、治安対策のためである。警察としては、治安の確保のためには顔全体を覆う衣装は、防犯上問題があるということだろう。第2は、ブルカがイスラム女性に対する差別と抑圧のシンボルだからだ、という点にある。

 

4. フランスの法案は、公の場所でのブルカなど顔全体を覆うベールの着用禁止を目的とする内容である。公の場所とは、公道、駅、電車などの公共施設内だけでなく、レストラン、劇場なども含む趣旨だそうだ。違反者には罰金150ユーロかまたはフランス市民としての諸価値を学習することが義務づけられる。法案は7月には、国民議会に提案されることになるそうだ。

 

5. フランスでは1789年の人権宣言にさかのぼって、伝統的に世俗主義または政教分離主義の価値が尊重されてきた。それは、絶対王制下において力をふるった教権主義への対抗という意義ある。そうしたフランスの文化からみれば、イスラム的衣装を公的な場所でこれ見よがしに着用することには抵抗感もあるようだ。

 

6. 実際に、この数年の間、ヨーロッパ各国では、イスラム文化に対する規制が様々な物議を引き起こしてきた。特に、フランスでは、2004年の宗教的標章規制法(ライシテ法)により、公立小中高等学学校において、イスラム風スカーフの着用を禁止する措置がとられたことは大きな影響があった。政教分離が憲法上の原則(ライシテ[laïcité]という)とされ、イスラム教徒の宗教的シンボルであるスカーフを公立学校内で着用することはライシテの精神に反するというのが理由である。

 

7. この問題は、ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所にも提訴された。結論だけ言えば、人権裁判所は、フランスが採用した公立学校でのスカーフ規制法は、フランス政府の裁量的な判断に委ねられた問題であって、人権条約9条の信教の自由に違反しないという判断を示していた(Dogru対フランス事件、2009年)。人権裁判所は、フランスのライシテの文化を尊重したのである。

 

8.今回のブルカ禁止法案は、学校教育というような特定の場所での規制ではないから政教分離原則とは関係がない。治安対策、犯罪防止という理由と女性の尊厳という理由が主たるものであろう。

 

9. しかし、ブルカやニカブを全面的に禁止する必要があるのかどうか疑問がある。ブルカの着用は強制されたものではなく、女性の自己決定によるものだとしたら、これを着用しないよう強制することができるだろうか。もし、防犯上どうしても必要ならば警察官等がベールを一時的に外すよう求めれば済む話ではないかとも思われる。西欧諸国に蔓延しつつある反イスラム的動きまたはイスラム教徒の文化排斥の動きを薄々感じないわけにはいかない。

 

10. ヨーロッパにおいては、かつて外国からの移民や難民らを同化により社会統合を求める政策が行き詰まり、その結果、移民や社会的マイノリティの文化を尊重する「多文化主義」への転換が図られてきた。しかし、近年のイスラム原理主義の台頭やテロへの危惧感などにより、イスラム風のスカーフの規制やブルカの禁止などの動きに現れてきた。その影響により、今また多文化主義も見直しの機運が起きている。

 

11. わが国でも、外国人労働者の受け入れなどを通じて、ニューカマー(new comers)との共生と多文化主義への理解が求められているが、ヨーロッパ諸国のこのような動きをどのように理解すればよいだろうか。わが国とは国情はかなり異なるとは言え、現代社会が抱える共通の関心問題である。

 

http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8652861.stm

2010年2月27日 (土)

ハンガリー、ブダペストにて

2008年9月に「ヨーロッパ人権裁判所の判例」というタイトルの共同研究の成果を発表したことがあるが、この時の研究を基礎として、さらに共同研究が続けられている。

今回は、ヨーロッパ統合の過程が各国の国内法にどのような影響を与えているか、特に各国の司法機関はEU法およびヨーロッパ人権裁判所の判例の実施等について、どのように調整を行っているのか、これらの問題をテーマに共同研究会を立ち上げて調査に当たっている。メンバーは、憲法、国際法、国際人権法等の領域で研究を行っている各面々であ。

同研究会に所属するメンバーは、実際にヨーロッパ統合の法がどのように各国の裁判所レベルに影響を与えているかという問題を調査するために、調査、旅行の最中である。
午前10時に憲法裁判所を訪れて、ハンガリー憲法裁判所の役割、活動等についての話を聞いた。

特に、ヨーロッパ人権条約およびEU法がハンガリーの国内法のどのような影響を与えているのかという観点から説明をしてもらった後に質疑応答を含めて、1時間半程度の会合をもった。その後は、ドナウ河畔のレストランに場所を移して昼食会を行った。その食事がまた、ボリューム満タンのハンガリー料理にお手上げだった。

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カンボジア・集団殺害(ジェノサイド)博物館(Genocide Museum)

  • 供養塔
    カンボジア、プノンペンのジェノサイド博物館の写真  1975年~1979年にかけてカンボジアを支配していたクメール・ルージュ(赤いクメール)政権の下では、現代史上にもまれなジェノサイドが行われ、約170万人の犠牲者を出したと言われている。人道に対する罪を犯した虐殺の責任者を処罰するために、国連とカンボジア司法当局との共同により設置された特別法廷において裁判がようやく開始された。  この裁判では、ポルポト政権の責任者が訴追されようとしている。国際人権・人道法の実施が、果たして確保されるのかどうか、この裁判の行方に注目していきたい。  この博物館は、当時、多数の政治犯等を捕らえ、拷問の上、殺害を実行した場所である。決して物見遊山で訪れるような場所ではない。しかし、かつての忌まわしい行為の実態を知ることにより、人間の愚かさを顧みる意味はあるだろう。 ※一部に凄惨な写真があります。ご留意ください。

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